すべては、大原麗子の「ピーコック・ベイビー」から始まった


まあ、今日は特別休暇ちゅうことにして、マシンやらいろいろブログのログ等整理していた。
 よっしゃ、腹が決まった。ブログに集中する。ミクシーは心苦しいが、退会させてもらうことにした。
 やっぱ、年内には、なんとか、本来のとこ、復旧させなあかん。あそこ、250円だか、毎月払っているし。
 2005年2月以前のデータもちゃんとあるのだが、ブログの形式ではなく、cgiを使った日記形式のヤツで、今さらそれも、復活させるの、どうかな、と思っていたのだ。ただ、今日ぱらぱらと見てたら、我ながら、レゲエ〜昭和歌謡への趣向の変遷がようわかって、それなりに、取っておきたくなった。古いヤツ集めて新しいサイトにしてしまうことにする。ちゅうことで。
 
 おりしも、アマゾンの中古で、ハイパノラマミックスシリーズ、コロンビア編「ピーコック・ベイビー」が手に入ったのだ。

1. スケート野郎(ザ・ジャイアンツ)
2. ミニ・ミニ・デート(藤ユキ)
3. ピーコック・ベイビー(大原麗子)
4. ヨッパラッタお嬢さん(ピンキー・チックス)
5. サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツクラブ・バンド(バガボンズ)
6. 恋のシャロック(中尾ミエ)
7. 二人で踊ろう(原トシハルとBアンドB7)
8. 月影のランデヴー(麻里圭子とリオ・アルマ)
9. いとしのマックス(松本浩とブルー・ナイツ)
10. ラヴ・サンバ(奈美悦子)
11. エキゾチック・ラヴ(大下節子)
12. ゴジラ対ヘドラ(麻里圭子)
13. 宇宙にとびこめ(中山千夏)
14. アイアンサイド(安田南)
15. 恋に首ったけ(ジャッキー吉川とブルー・コメッツ)
16. ウィキ・ウィキ・ジェット(コミュニケーション’72)
 この中にも入っている大原麗子の「ピーコック・ベイビー」聴いて、昭和歌謡聴き始めたのだ。 迷いが吹っ飛んだぜ。あれの熱情みたいなもんが、このワケのわからん音楽サイトみたいなもんの始まりだった。
 


 <このアルバムのレビューはまあ、おいといて、当時(2003年5月あたり)書いたヤツをコピペする。>


Amazon.co.jp 60’s ビート・ガールズ・コレクション : GSエイジのマドンナたち

 そうだ、そもそも、大原麗子の大怪曲「ピーコックベイビー」から始まったのだ。(YouTubeでの「大原麗子 ピーコックベイビー」http://www.youtube.com/watch?v=CeKHIPt6ZCM)  噂を聞き、というか某サイトで「パンキー歌謡曲」として紹介されていたわけだ(某サイト今は閉鎖)。
 その曲の入っている、「60’s ビート・ガールズ・コレクション : GSエイジのマドンナたち」というアルバムを聴いた途端、もう、真っ逆さまに墜ちていったものである。
 この時は、「ひとりGS」という言葉もしらず、ましてや、このアルバムが女性「ひとりGS」ばっか集めたもんとも、当時は知るよしもない。
 大原麗子には、ぶったまげた。
 暴走ぶりというか、六本木野獣会的お嬢様わがままさというか。
 欲望の渦巻く伏魔殿というべき芸能界を舌足らずの甘えた声ひとつで、40年間生き抜いた大原麗子である。その大原麗子の若さ溢れる10代、である。余りにもオレの認識は低かった。
この曲だけでも、ど中年男のオレには手に余るほどである。
この曲をペンディングにして、すぐさま、レゲエに戻るべきだったのだ。
 よせばいいのに、他の曲も聴いた。
 そのアルバムに収められていたマーガレットという正体不明の女子歌手がエレキの寺内タケシのバニーズをバックに従えた「逢えば好き好き」。これはやたら、バックのやたら高度な演奏と唄のへたれ具合が、妙にマッチして、どんどん、オレを、「その手の世界」に引きずり込んだ。
 このアルバムに12曲もフューチャーされている小畑ミキのアイドルっぽい声が、アウトキャストのむしろ凶暴と云っていい演奏に乗った、奇跡みたいな曲、「ジェーン・ジェーン」。
 どうせヒットもせんかったロクでもないと、油断して聴いてしまった。
 その、ほんのわずかな心の隙をぐいっとこじあけ、30数年の時間を乗り越え、「ひとりGS」が、強引にオレの中に入ってきた。  「モーレツ」な時代であった昭和40年半ば、その時代の音楽が、一度食らいついた客をそうすんなり離してくれないのである。搾り取るものがなくなるまで。
 思えば、たった3年前、こっから、グループサウンズやエキスポメイツショーを知り、「昭和歌謡」への旅が始まったのだ。
 たった、3年だ。
ピーコックベイビーから、十二年後の大原麗子! まあ、こういうパブリックなイメージな人が「ピーコックベイビー」だもんな・・・・。
1. スケート野郎(ザ・ジャイアンツ)
2. ミニ・ミニ・デート(藤ユキ)
3. ピーコック・ベイビー(大原麗子)
4. ヨッパラッタお嬢さん(ピンキー・チックス)
5. サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツクラブ・バンド(バガボンズ)
6. 恋のシャロック(中尾ミエ)
7. 二人で踊ろう(原トシハルとBアンドB7)
8. 月影のランデヴー(麻里圭子とリオ・アルマ)
9. いとしのマックス(松本浩とブルー・ナイツ)
10. ラヴ・サンバ(奈美悦子)
11. エキゾチック・ラヴ(大下節子)
12. ゴジラ対ヘドラ(麻里圭子)
13. 宇宙にとびこめ(中山千夏)
14. アイアンサイド(安田南)
15. 恋に首ったけ(ジャッキー吉川とブルー・コメッツ)
16. ウィキ・ウィキ・ジェット(コミュニケーション’72)

年末お買い物ガイド・・・でも買えない・・


ミクシーはちょっとありのままのオレを出そうと、つい、出身地、正直ありのままを書いたら、神戸の方より、クレームのメールが来た。ま、正直、見栄を張った。オレは実は中区の生まれやない、東横線妙蓮寺つまり港北区の生まれで、港北区はヨコハマやないと、云われたらそれまで。出身地横浜とは、出過ぎてました。でも、まさに親の因果が子に報いの最たるもんで、たかだが横浜大空襲 で港北区に行ってそのまま、居着いてしもた母親の親一家が根性無しやった。オレかて、神戸の人間になりたいんや。そやけどなあ。なんぼ努力してヨコハマ弁訛り直そうとしても、またここで、美しい神戸弁で書こうと思てもやなあ、どうないしても、ヨコハマ弁訛りになってしまうじゃん。業、ちゅうやつじゃん。
 震災前の神戸は良かったなあ。人間がもっともっと、おおらかやったじゃん。

 昨日、クルマで聴いた「あまい囁き」をここで更新するために、聴き直したが、きつかった・・・。ま、人生パローレパローレちゅうもんですな(パローレ、意味調べたらわかるだろうが調べる気になれん、さすがに)。
 そうや、書き忘れていたが、昨日、虹を見たんで、よっしゃ中村晃子「虹色の湖」を聴いたれ、と思って、聴いてたら、いつのまにか、曲が替わって「あまい囁き」になってもてん。下のアルバム。虹を見て、ジュディ・ガーランドでも天地真理でも地底怪獣パゴス でなく、中村晃子をまっさきに思いつくところ、我ながら、褒めてやりたい。




虹色の湖


 最近はあんましCDを買っていないが、実はラッシュと云って良いほどの様相を呈しとる。
 なんか、ソフトロック・ドライヴィン・シリーズの新しいヤツ(内容未確認、噂では一枚は再発、一枚は新規)が出るらしい。Yahoo!オークションで大枚払ったのは、今は昔、今回は定価でも手が届かない。



 ナベプロボックスシリーズが25%引きやっているみたいで、前々から狙っていたナベプロのミュージッシャンのカヴァーソングばっか集めたボックスや、伊東ゆかりボックス、とかも25%オフ。伊東ゆかりのボックスだけは、なんとか、したいが・・・

 東芝は太っ腹にも小川知子やら黛ジュン、奥村チヨのオリジナルアルバムを2in 1(2枚のアルバムを1つのCDにしたお得なやつ)が1500円(二枚組は2500円)。
 奥村チヨはあまり好きじゃないが、小川知子と黛ジュンは欲しいところだ。


 同じく東芝より2in 1で、これはロカビリー時代の尾藤イサオ、内田裕也、山下敬二郎、ジェリー藤尾。これも聴きたい。



 と、またも、貧乏自慢になったが、まあ、11月末に税金がっぽり(普通の人には何ともない金額ですがオレにはメチャクチャ痛い)取られるが故。上記全部買っても、県税に届かないのである。
 税金、無駄遣いしたら、兵庫県庁神戸市役所いつでも乗り込む覚悟だから、くれぐれも、奈良市や和歌山県みたいなこと、せんといてね。してたら、税金免除してね。
 
 ただ、よい時代になったことは確かで、ちょっと前まで、買いたくても、全部廃盤だったのだ。
 来年の夏あたりまで、上記のヤツ、廃盤にせんといてや。ヤクルトスワローズ、岩村の出稼ぎで儲けた金、ちょいと回してくんねぇかなぁ。タウンミーティングのさくら、まだ募集してへんのかなあ。和歌山県知事んとこ行ったら、href="http://www.sankei.co.jp/news/061116/sha030.htm"
target="NewWindow">15万円

くれへんかなあ。

クラッシュの「IF MUSIC COULD TALK」とマイキー・ドレッド


古い音楽を聴く場合、やっぱ、一番の落とし穴は「懐かしい音楽」であろう。あたりまえである。無限大にある未知の音楽に、やなあ、時系列無視して、ずっぽり深くまで垂直にダイブしたろかいな、と思てるのに、水面あたりに漂っている「懐かしい音楽」程度にちゃぷちゃぷ浸って、懐かしさついでに、てめえの過去まで美化しまくるという快楽は捨てなアカンのや。

 まあ、あからさまに落とし穴落とし穴しておる場合は、午前0時以降、阪急三宮駅の北側やら十三やら阪急南通商店街、或いは15年前の恵比寿駅周辺、道玄坂上り、歩いてさんざん学んだもんで、なんぼ魅惑的な落とし穴であってもなんぼ安く思えても或いは呼び込みがしつこくても(話が逸れてます)、「行ったらアカン行ったらアカン」と言い聞かすことになんとかなる。ストイックにいかなあかんのよ。
 
 今、クラッシュ、聴いとる。サンディニスタの「If Music Could Talk」ちゅう曲と、「Living In Fame」ちゅう曲をかわりばんこに。
 そう、オレをジャマイカの音楽に引きずり込んだのは、ボブ・マーレイでもなければ、エリック・クラプトンでも、ストーン・ラブでも、ない。この2曲なんである。
 

サンディニスタ!
 さっぱりしようと飛び込んだ一番風呂が、蜂蜜風呂だった、ちゅう感じであったろうか。さっぱりするどころか、にゅたにゅたでどろどろ。 
 クラッシュといえば、それまでも、ジャマイカの音楽にかなりの色目を使っていたもの、そいでも、やっぱ、パンク、熱めのバスクリンなど入っていない新湯(さらゆ)の一番風呂みたいな曲が一番、気持ちよく、いつものように、我慢できるギリギリの熱いのを、10数えるだけガマンして、さーっと上がって、さっぱりしようとしたら、ぬるめの蜂蜜みたいに粘度の高いサウンド、まとまわりついて、べとべとしまくり、慌てて出ても、べとべとはなかなか、取れん。例によって喩えれば喩えるほどワケがわからなくなっているが、まあ、そういう感じ。
 
 べとべと感が不快でたまらなかったが、そのうち、何の拍子か、快感に変わり、今日に至っているわけである。

 「If Music Could Talk」と「Living In Fame」は同じ曲なのである。前者はクラッシュがヴォーカルを取っているが、左チャンネルと右チャンネルと別々の歌詞を歌い、ある時は交錯しある時はバラバラにある時は片チャンネルだけ、という不思議な音であった。レゲエレゲエしたレゲエではないんである。メローでちょっと泣きが入っているように聞こえたから、蜂蜜風呂でも我慢しようとしたのかもしれん。

 「Living In Fame」は、「If Music Could Talk」と殆ど同じカラオケに、マイキー・ドレッドという人が、だみ声のネズミみたいな声で殆どワケのわからん言葉でどんどんつなげていき、ごにょごにょが続いたら、時折、えぇい!わぁお!とか掛け声まで入れながら、或いは「If Music Could Talk」からの「I feel kinda lonely」がここぞというところで入り、あっというまにエコーで消えて行き、また、ごにょごにょ。ところどころ、セックスピストルズやらX−ジェレーションやらの名前がどうにかこうにか聞き取れるといった案配だ。

 まったく同じカラオケなのに、この変さ具合の違いは、なんじゃ、これ?、ちゅうもんで、そうやって、交互に聴いとったら、いつのまにか、「蜂蜜風呂」にどっぷりはまってもたんや。

 まあ、それまでも、クラッシュは、レゲエのカヴァーは最初のアルバムの「Police & Thieves」から始まって、「Armagedon Time」やらなんぼでもあるが、どっちかというと、そういうのは、どこまで行ってもやっぱりクラッシュの音で、さしずめ、「熱い新湯の風呂」、当時から今に至る「蜂蜜風呂」の「はまり方」は私はこの二曲で覚えましてん。
 
 ちゅうことで、久々に何度も聴いてみたが、やっぱ、懐かしくて、エエ。あの頃のオレは光っていたもんなあ。さしずめ、あの時きみは若かった、ごめんね君を困らしちゃって、ちゅうもんよ。人生。

MICO Loves CUMBIA BROS.の「恋のクンビア21」


日本シリーズが終わった途端、急に秋めいてきた。
 弘田三枝子のジャマイカ録音、もう、妄想が膨らむばかり。なにせ、スライ&ロビーのミリタント・ビートに弘田三枝子のVoiceがのるのだ。仕方ない。ジャマイカの長年に渡って鍛え抜かれてきた名曲の数々、もし、弘田三枝子が、歌うようになったら・・あかんあかん。

 昨日、あれから、iTunes Music Storeで、MICO Loves CUMBIA BROS.というミュージッシャンの恋のクンビア21 (iTunes Music Storeへのリンク)を購入し、聴きまくっているのであるが、嗚呼、ミュージックストアの検索、弘田三枝子でもひっかかるようにして欲しいもんだ。MICO Loves CUMBIA BROS.=弘田三枝子、知らんかったら一生知らんかっただろう。
 http://www.cumbia.jp/  クンビア21のHP。
 ちゃんと、You Tubeでも、PV公開しているんで。

  オリジナルは1965年、全然古くなっていないのに、ただただ、驚くばかり。

Uglyman - Computer


またも、 レゲエねた。
 1985年の年末から正月までジャマイカ行った。この年というのは、レゲエが地殻変動的に新しくなっていった年で、ラッキーやった。
 あっちの観光ディスコや路上でもスタラグからスレンテンばっかえんえんとかかっており、そして、それらの今も名を残しとるそうしたメジャーなリディムトラックと同格、ことに寄ればそれ以上に頻繁にかかっていたのが、コンピュータリディムだった。

 UglymanというDJ,凄いだみ声で、どう考えても、日本では魚屋とか卸市場とか年末のアメ横とか、或いは浪曲やら浪花節やらでよく聞かれる声で、ノリも今までのジャマイカのノリよりも明らかにそっちに近く、オレのジャマイカに対する幻影みたいなもんを一気に破壊してくれたもんである・・・ええい、まどろっこしい。ま、聞いてみて。

 



そいで、これが、コンピューターのリディムとラックによるワンウェイ(いろんなシンガーやDJが同じ曲を違う歌詞やトーストでやっているやつ)もん。全部聴くと凄い疾走感が入る(詳細はルーツアイカイブ=>http://www.roots-archives.com/release/3172 )。


ジャマイカで後生大事に買ったものの、数ヶ月後日本でもドバッと出ていた。 CDで出たのか出てないのかようわからんが、出てないとしたら、出して欲しいもんです。

スタワンものベストボックス、2点及びその他


午後休み。だが、表に出歩かず、八月停電のため、ぶっとんだ昔のブログんとこ復旧させようとしてた。 使いたかったMovableType なのだが、最新版は動かず、うちのハードディスクに眠っていたベータバージョンならなんとかなった。一応トラックバックもコメントもつけれるけど、問題は、ベータなんで、公開したらあかんかったような・・・ま、怒られるまで、という感じになるし、膨大な過去データどうやって移行させたらええんか。
 http://www.inspiuser.net/~tko/cgi-bin/MT/
 しかも、ブログは今日び、もうエキサイトやらはてなやらの方が便利で楽で簡単でしかも、無料だ。ただ、エキサイトでテスト的にやったら、いきなり500もアクセスが来たもんで、ここみたいに「どうせ誰も来てない読んでない」精神で好き勝手アホなこと書けないような気がする。


 日ハム、パ・リーグ優勝。稲葉のヒットで決まった。良かった良かった。
 まあ、国連での制裁決議がどうのこうのちゅう段階で、またもいろんな人がいろんなこと云うてるが、オレが考えるに、実際問題、ウチの国としては、非核三原則 「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」に「核攻撃させず」を加え、非核四原則とするぐらいしか有効な手を思いつかん。まあ、守ってくれる国じゃないやろけどな。
 
 レゲエねたするとガクンとアクセス数が下がるんだが、またも、レゲエねた。
 

 昨日、ステューディオ・ワン (リンク先は毛唐版ウィキgoogle翻訳。 ラベル=レーベル、宝物島=トレジャー・アイル=スタワンのライバル)について書いたもんだから、ちいっとばかし、里心が出て、久々にアマゾンやらハイ・ファッション・レコードさんとか、その手のもんをチェックしてみたら、あるわあるわの大騒ぎ。

 ステューディオ・ワン(Studio One 以下、スタワンと略する)のスタワン全盛期(1962〜70年あたり)のベストもんコンピがハートビートより出てた。こういうの、


The Best of Studio One Collection

 4枚組。内容については、見る限り、まあ、代表的なトラックがごっそり詰まっており、価格も5000円強で、まあええんとちゃうか、と。ホレス・アンディのスカイラーキングが入っていないやら、言い出したら、キリが無いわけで、おそらく、永遠にスタワンのベストもんなんか作れっこないんであーる。

 あと似たようなヤツで5枚組、Soul Jazzからも出ている(こっちの方が高い 10,000円強)。こっちは思わずクリックしようとして思いとどまった。何故なら、今までSoul Jazzから一枚組で出ているStudio One Rockersやらのシリーズを集めたヤツみたいなのだ。一枚もそのシリーズ持っていない人は、ややこしくなく、全部手に入るのだが。このSoul Jazzちゅうレコード会社も偉く、こつこつと、というか、しこしこと残されたスタワンの膨大な音源をCDにしている。


Studio One Muzik City
 そいで、ありゃありゃ、ホレス・アンディの一番軟派な曲、そして、オレなんか、もう何度聴いたか知れない、今もクルマやiPodには常駐しとる、曲、「Natty Dread A Wa She Want」 が入ったフルアルバムが遂にトロージャンから再発だ。
 なんかいつも重い鎖引きずったようなリズムに甲高い声を振り絞るように声を乗せるイメージがあるホレス・アンディが甘ったるくスケベに歌ってるヤツだ。1978年のアルバム。

 


Natty Dread a Weh She Want
 そ・れ・で。
 ハイ・ファッション・レコードさんんとこには、ちょっと得体が知れないが、ニューヨークはワッキーズレーベルの一番おいしい時期の映像が観れるという、下のDVD−Rが。


Hi Fashion Records Wackie's/Bullwackie In New York(Brighton Video)
グレート!!やばすぎるDVDが入荷!ご存知、独特のスタイルでニューヨーク・ルーツレゲエを作り上げたといっても過言でない、あのBullwackieプロデュース、Wackie’sレーベルのドキュメンタリー風DVDです!録音はおそくら80年代初頭、wackie絶頂期、Sugar Minottから、anthony Johnson、Love Joys、Mikey Jarrett、 Jerre、Carlton Livingstonなどなど貴重なビンテージライブステージ、スタジオ風景、インタビューなどのハイライトが次々と登場、当時のヤバーイNYシーンがいまここによみがえる!超推薦!

 
 ちゅうて。うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん。って、注文しまひた。DVD-R。ただ、どの程度の映像が残っているのかは、観てみないと、あたりまえだが、わからん。賭けですな。
 

Real Authentic Sound of Studio One


午前中、雨。
 日本ハムが勝って、あっという間に王手だ。ニュースで観ただけだが、球場全体、凄い応援。来季の神宮を予感する。

 最近のここ、オレにとっては苦手の時事問題多いが、こうも、時代の変わり目を象徴する出来事が起きると、なんぼなんでも、触れないワケにはいかんだろう。
 
 ちゅうことで、取ってつけたように、今聴いているアルバムを紹介して、音楽サイトへ強引へ戻るわけである。こういう時、レゲエはたすかる。
 これは、80年代後半、多分、どっと新しい波「ダンスホール」が吹き荒れ、同時に古いスカが大流行し、70年代ルーツも見直され、ステューディオ・ワンやトレジャー・アイルの古いシングルがどっと再発されていた頃、どさくさに紛れるようかに出た。

 なんでか、わからん。当時一線を引いて儲けまくった金で隠居してた筈の60年代ステューディオ・ワンのオーナー、コクソン・ドットのプロデュースで、新録で出たのが下のヤツなのである。時代が当時ですら、30年はずれている。当時のオレはわけのわからんまま、買い、期待もせずに聴いた。そしたら、あんた、脳内アルファ波が出まくり、肩や首筋に溜まった変な緊張がじんわり解け、疲れが素直な形でゆるゆると出てくる最上の音に仕上がってるもんだから、びっくり、ですわ。
 
 まさに音楽のバスクリン、否、掛け流し温泉効果を味わったもんである。爾来、二十有余年経った今も、今日みたいな日、聴いたりする、お気に入りになってもた。今は手に入りにくいみたいだが、気を長く持てば、すぐにそこいらで売っているようになる(CD版はもうひとつFull Upのワンウェイもんと一緒になっとる)


"Real Authentic Sound of Studio One" (Various Artists)


 このアルバム、なんのことはない、誰でも知っているような古いリディム・トラックに新しい味付けをして、ちょっと薹(とう)が立ったり、当時バリバリのダンスホールシーンでは、波に乗り損ね冷や飯食っているシンガーやDJを集めてきて歌わした(或いはDJさせた)アルバムなのだが、奇跡的に大成功しとるわけだ。

 まあ、日本だとこういうことをしようとすると、「古さ」が気にくわないのか、「今」を強引に入れて、ギタギタの自己主張が激しいもんになるところ、さすがは商売人コクソン・ドットである。ごくまっとうにあんまし手を加えず、言うなれば手抜きしまくっとるわけだが、おさえるとこ押さえて、無理してない。セールス的にどうだったか、知らんが、そのあざとすぎる手に、まあ、極東のオレなんかはその手にコロッといかれてしまうわけや。
 
 くそ、最近、レゲエから遠ざかっていたんで、リズムトラックの名前、忘れてしもている。んで、例によってまた、肝心のデータとか省略。 

 1曲目のEarl 16 (最近でこそ、評価されているが当時はまだまだ)の「Musically Crucial」からして、体を伸ばしがてら、ゆったりまったり踊ったろか、ちう気にさせる。そいで、ええ曲続いていくんだが、省略して、4曲目のヒュー・グリフィス という男性シンガーの「So Secure」がもう・・。これが、また、かったるく、聞き手のはやる心を、憎いまでに、焦らし焦らし焦らし抜いて、そのまま、終わりよる。そいで、次のヒュー・グリフィスのもええんだが、ホーテンス・エリス が枯れた声気味にすウィーと・ハート。ミスター・ロックステディ、アルトン・エリスの妹だ。ええ歳の筈だが、刹那く、しかも律義に唄うんで、思わず、岩にしみ入る蝉の音状態。
 
 まあ、泣く泣くだが、以上、3曲だけの感想文。ダンスホール風味ロックステディちゅう感じか?

「イエ・イエ」と「ワンサカ娘」


div> 朝日の夕刊一面の特集記事、先月の戦争特集では、もう、オレでもわかるぐらい、ある方向へある方向へ、そういう人たちやそうとされている歴史を都合良く使って読者を導いていく例の手法で各所で怒られていたが(こういうことするから、純情な青少年がやがてそのカラクリにすぐ気がつき、アンチ朝日新聞派になっていくんですわ、そのことに早く気がついて欲しいもんです)、今日のは、レナウンの画期的なCM、「イエイエ」の特集であって、小林亜星を紹介したイラストレーターとかの話が出てて、興味深く読んだ。

 ちゅうことで、今日は音楽ネタ。

 レナウンのCMは当時、多分、日曜の洋画劇場、淀川長治の解説のやつ、あれのスポンサーだったらしく、あれで見た覚えがある。子供心にも、めっちゃくっちゃカッコ良く思えたもんである。
 You Tube探したら、なんと、当時のCM,おました。


 

数年前、まだ、歌謡曲聴き始めの時、朱里エイコの「イエ・イエ」のあまりにもなカッコ良さに吃驚仰天していたもんである。なんど、聴いたか知れない。また三年ほど前、ECDがこれをそのまま使って、トークオーヴァースタイルでラップをのせていた。

 まあ、オレの持っている音源は、朱里エイコの「イエ・イエ」、けっこう何曲も重複していて、以下のアルバムに入っている。これ以外にもなんぼでも入っているがとりあえず。最初のは和製ガレージばっか集めたコンピ(キング編)、次のが以前クラウディア「恋のカローラ」で紹介したCMソングのベスト盤みたいなやつ、次のは、小林亜星のCMソングばっか集めたやつ、最後のが廃盤なので、腹立たしいが、朱里エイコの60年代の曲を集めたアルバム。


 あと、どういう関係なのか知らないが、同じレナウンのCMソングで、「ワンサカ娘」ちゅうのがある。れなうん、れなうん、れなうんむすめが、わんさか、わんさか、いえーい、えーい、いぇいぇい、ちゅう曲ね。これは知っとるやろ。ノリノリ。

 1964年の「ワンサカ娘」は、弘田三枝子。この曲のポイントは歌部の合間に「いいわぁ」とセリフ気味に云うところが、セクシーでたまらんのだが、さすがに弘田三枝子のは、あっさり。

 1968年の久美かおり(沢田研二ジュリーの妹役だ)のヤツはど低音のベースでぼこぼこ、ちゅうぐあいに始まって、ハスキーな久美かおりのヴォーカルがかぶさって、たまらん。まさにGS黄金期の1968年製、まさに時代の落とし子、1分未満のしか、残っていないみたいだが、めちゃくちゃカッコええ(ただし、「いぃわぁ」は入ってません)。

 あと、「ワンサカ娘」ではないが、1966年、真理アンヌの「太陽ハント」という別バージョンがあって、真理アンヌもやけくそ気味に声を張り上げ唄って、「いぃわぁ」。これは上の赤のジャケット、「CMソンググレーテスト・ヒット」というコンピに入っている。

 そいで、なんちゅう企画か知らんが、その「ワンサカ娘」ばっか集めたアルバムがあるという(下のやつ)。ところが、下のアルバム、買おうと思ったら、入手不能で、ずっと悔しい思いしていたが、今たまたま調べたら、買える状態にある(と、思ったら、オレが買ったら、もう入手不能、ザンネンでした)。
 これは、もう全曲「ワンサカ娘」、ゼルダやらサンディ&サンセッツやら懐かしい名も見える。まあ、各時代のそれぞれのミュージッシャンによるもんで、「いいわぁ」。


 
 ひさびさに、朱里エイコのアルバムの方の「イエ・イエ」聴いて寝よう。

YOU TUBE でテナー・ソー


こりゃ、あかん。
 You Tube でレゲエに手を出したら、際限なくなってしもた。
 テナー・ソー。大好きなシンガーだった。Youth Promotion出身で、アウト・オブ・キーちゅうはずしまくる唱法がかっこよかった。
 
 懐かしのジャパスプ、1986年の雄姿。それから一年と経たないうちに訃報だ。ハドソン川に浮いていた。
 このジャパスプ、オレも行き、ステージの後か前か忘れたが、フツーにテナー・ソーが売店でビール飲んでおり、サインしてもろたか握手かした。まだまだレゲエちゅうとボブ・マーレー的なルーツ系であり、ダンスホールものは認知されていなかった頃である。


 1985年のライブ。ジャマイカか、ジャマイカ移民の多いとこか。日本と同じFeverちゅう曲やっているが、まるで別人。当人も観客もノリまくっている。この差が当時のオレは我慢できずに・・・
 しかし、フィーバーちゅう曲、とちゅう歌詞が「踊れタイミング」と聞こえてしゃあなかった。


ジャマイカのどっかわからん、狭いとこのライブ。ラバダブ。ひとつのリズムトラック(多分、テンポ)をテナー・ソー、ニコデマウス、スパー・キャッツと3人のDJやシンガーがつなげまくる。まあ、なんてことない動画だが、このシチュエーションが当時の日本におってはわからず、何かとんでもないこと、とてつもないことがジャマイカで始まっている、とはるか彼方極東へ漏れてくる断片化した情報から、想像力、妄想を膨れませていたのである。そいでもまだmだ、膨らませ方が足りなかった。
 シングル盤一枚の音源からみんなでよってたかって、すごいもんが際限なく生み出されていたのである。


 まだまだ、なんぼでも出てくるんでこのあたりで。
 1985年ごろは、ステージと観客の間に結界みたいなもんが存在してなかった感じがする。

弘田三枝子の「可愛い嘘」


セ・リーグ盛り上げようと、スワローズがなんぼ頑張っても、何故か中日のマジックが減るいっぽう。なんでだろう?

 行こう、行こうと思ってたが、海水浴シーズンど真ん中に行く勇気がなく、ようやっと、今日、日本海に行ってきた。夏は夏だが、もう、海はクラゲが出没するオフシーズン。午後1時に出るという遅めのため、行って帰るだけというパターン。帰り、福知山から高速に乗ることにして、大江山 を爆走した(うそ、普通に走りました)。その為、大江山の鬼の機嫌を損ねたかもしれん。万一、オレが行方不明になったら、有志の方は、源頼光に鬼退治依頼してくれ。ちょっと、教養ひらけかすのは、イヤミの極みで、野暮の骨頂で、本意ではないのだが、自然にキーボード叩いてしまうのよ。しゃあない。まあ、オレ小学校時代、盆踊り我慢して、「力の5000題」やっとった人間やからしゃあないんや。

 今週は音楽集中聴取強化週間。iPod Shuffleに音楽入れていって、クルマで聞いた。FMに飛ばすんで、ノイズ付きだが、まあ。
 1GBのiPod Shuffleに入るだけ、いろんな音楽入れていったのだが、なんやかんやいって、ガンガン聞いたのは、やっぱし、弘田三枝子。
 せっかく海に行くんだから、と思って入れていった渚の三部作、1963年の「渚のデイト」、1967年の「渚のうわさ」、そして、昭和歌謡のピーク、1968年、筒美京平作曲「渚の天使」での弘田三枝子のシャウト、「ボンバ!」でスウィッチが入ってもた。奇跡みたいな曲で、弘田三枝子という希有の歌手だけど、ど日本人の彼女から黒人の要素を見事に抽出してみせた。

 「渚の天使」でノリノリ。ここまで来たら、1968年、名曲中の名曲、「可愛い嘘」(作詞 橋本淳 作曲 筒美京平)だろう。オレが東芝時代の「ヴァケーション」に匹敵するほど聴きまくった曲である。
 クルマの中で聴くと、特に京都府の日本海沿岸部走りながら聴くと、夜の歌みたいな歌詞をもつこの曲が、不思議に夏の日差しジンジン乱反射している海面に、バッチ合うんである。ささやくように、でも、しなやかに、そしてしたたかに、この「和モータウン折衷R&B」の曲を歌いあげるのである。それこそ、これがヒットしなかったから、弘田三枝子のシンガーとしてのありとあらゆる要素を殺しまくった曲「人形の家」へつながったらしいが、これは弘田三枝子も筒美京平も悪くない。当時の日本人が悪い。まだ、汲み取り式のトイレだったからしゃあないか。

 当時、これがヒットしていたら、と思うと震えが来る。
 オレが1968年大富豪だったら、モータウン札束でひっぱたいて、シュープリムス、コーラスに使い、ダンサーとしてミラクルズ使って、日本語歌詞のまま、録音させ、「スキヤキ」に続き、全世界中に、めっちゃくちゃヒットさせ、ヴェトナム戦争と文化大革命と一気に終わらせる自信があるんだが。

 てなアホなこと、真に受けられると困るんで、ともかく、今日は、これ聴きまくったおかげで、長時間運転した後のなんとも言えない、あの疲労感が無い。
 好きなの、可愛い嘘。あなただけ、わたしは嫌い。電話がジンジン怒っている。あしたになればあげるわ。愛をあげるわ。


 下のジャケットが「可愛い嘘」のシングル盤のジャケットだったらしい。


弘田三枝子 筒美京平トラックス


  JASRACで調べたら、鈴木蘭々がカヴァーしているみたい。
  弘田三枝子のバージョン、You Tubeで探したが、オリジナルや当時のライブとか残っていないが、2003年のライブ映像が見つかった。ホンマ、なんど、聴いても、また、続けて聴きたくなる。大好きな曲である。

 可愛い嘘が、ヒットしまくってたら、以降の世界の歴史がジンジンジンジンになったんである(なんのこっちゃ!?)。

青山ミチの「ミッチー音頭」


珍しく、スワローズ勝ったのだが、大勢に影響なしちゅうのが寂しい。

 Macの入力、この数年来、ATOK16使っていたのだが、そろそろ、と思っていたら、ちょうどEGBRIDGE のバージョンアップが来たので、EGBRDGE使ってみることにした。さっき、インストールしたところなのだが、まあ、使えそう。ちゅうか、すっごい便利やんけ。


 今日は地蔵盆。
 夕方、少年少女諸君がお地蔵様にたむろして、せったい、貰っていた。
 盆踊りも行われていて、国道に出ると近くの神社から、なぜか大音量で「月が出たでた」が鳴り響いていた。血が騒ぐ。この気分がすべての音楽ちうもんの基本かもしれん。

 盆踊りといえば、思い出すのは、悲しいことばかり。
 小学校のころ、夏休み中ほったらかしにしていた「力の5000題」の何問か解かないと、行ったらアカンちゅうことになって、虚空に反響する、ドンパン節やら炭坑節聞きながら、一生懸命むつかしい算数の問題、解こうとするが、アホやからでけへん。はやる心を抑えきれず、足をじたばたさせながら、「力の5000題」に向かい、ようやっとでけて、走って行ったら、もう終わりだった。粋ぶって後ろの帯に団扇を差した浴衣姿の同級生やら近所のガキが、汗まみれでアホ面さげて、せったいのラムネをラッパ飲みながら三々五々して帰ってくるのを焦って逆行していくオレ。盆踊りなんか、大嫌いだ(ちょびっと大げさに書きましたが実話です)。
 
 うちの近所の公園でも、近いうちにある筈。
 ちゅうことで、ここはひとつ、久しぶりに、青山ミチ の「ミッチー音頭」(1963年)を聞きながら、数十年前の少年時代の借りを取り戻すわけや。

青山 ミチ(あおやま みち、1949年2月7日 - )は日本の歌手。本名は八木フサ子。
神奈川県横浜市出身。父親は在日米軍の黒人兵であった。1961年、ジャズ喫茶が主催する素人ジャズコンクールで入賞したのをきっかけにポリドール・レコードの目にとまり、翌1962年「ひとりぼっちで想うこと」でレコードデビューした。パワフルでパンチのある歌声が定評で、ミッチーの愛称で親しまれ、1963年には「ミッチー音頭」が、1965年にはエミー・ジャクソンと競作となった「涙の太陽」が大ヒットした。その後日本クラウンに移籍したが、不祥事(覚せい剤で逮捕)(1974年3月に万引きで現行犯逮捕)が相次ぎ、芸能界から追放状態となる。
その後は長らく消息不明だったが、娘と2人で生活保護を受けながら暮らしていることがTV番組「あの人は今!?」の調査でわかり、関係者のショックを誘った。

[From 青山ミチ - Wikipedia]
 炸裂系の景気のめちゃくちゃええ曲。当時、各地の盆踊り会場で、この、ど派手なR&Bの音頭、こういうのもかかったんだろうか。
  

青山ミチ ゴールデン・ベスト

 YouTubeでは、エンケンのカヴァーしかなかった。

クラウディア 「恋のカローラ」


 あかん、また迷惑メール増えだした。たった一日のしあわせ、だったのね。

 

 「嫌われ松子の一生」、おお、DVD発売決定。予約したぞ。



 あの映画観て、思っているのは、いっそのこと、全部、最近こさえた、嘘の70年代ソングで固めたら、もっとカッコ良くなったんでは?、とか妄想が膨らみつつある。近田春夫のフェイクのアイドルグループソングがずっぽしはまっていたもんで。あの映画、最近ぼこぼこ作られている一連の昭和懐古映画と一線を画しているのは、やはり、忠実に過去を再現しようとするのではなく、「現在過去折衷」(和洋折衷の時代版)ちゅう新たな境地に挑戦しとるとこだろう。意余って力足らずに終わってしもたかもしれんが(昨日「映画は女優だ」と云いつつ、昔の映画少年風理屈をこねてみました)。





 こっちの話題やないねん。

 今日はいつもなら最高温度を記録する時間帯に大雨がが降ってくれたので、非常に過ごし良くなった。

 大雨のおかげで、今の時間帯もわりあい過ごしやすく(スワローズが負けたものの)、よっしゃ、音楽聴いたろやんけ、と前向きになっている。今の時間帯はさすがにヘッドフォンで音楽聴かんとあかんわけで、暑いともう、ヘッドフォンが汗でびっちょり耳にへばりつき、しかも密封状態ができるのか、耳の中の湿度が上昇し、もう気持ち悪いのってなんのって。



 夏の暑い盛り、クラウディアの「恋のカローラ」(1968年、作曲浜口庫之助)、非常に気に入って聴いていた。

 1968年トヨタのカローラのCMソングである。クラウディアって、ブラジルの人みたいだが、1970年前後にどっと出た和製ボサ和製サンバ系の中でも秀逸な曲である。

 かったるい部分あり、ど派手ノリノリもあり、和製ボサノヴァ風サンバ、ちゅう感じか?



 google検索して気が付いたのだが、なんのことはない、オレの七月二十四日

分の日記で触れているわ。・・・・オレは進歩していないのね。その時はクルマでは、眠くなるとか書いておるが、今年の夏は半端じゃなく、クルマでのドライブ、クーラーがんがんに入れてても直射日光で暑いぐらいだったから、ちょうど良くなったんかもしれん。まあ、七月二十四日以来、どんどん音楽ネタが減り、今日に至る、ちゅうわけだが、こっから、また、行くぜ!

 

 今年の夏の暑さで脳細胞が蒸発して頭蓋骨内を気体で漂っていたんが、暑さもピークが去り、ようやっと、凝固してきたと。まだ液体だが。

 



 数年前買った下のアルバムに入っていたのだが、この曲ごしごしに聴いているのは、今年に入ってからだ。なんでか、ようわからん。

 だいたい、このアルバムは、もう、めちゃくちゃええ曲ばっかで、レナウンワンサカ娘ですら、朱里エイコや真理アンヌ、それとジュリーの妹、久美かおりのバージョンは入っているわ、「遠く遙かな、愛の国を求め、君は行くのか」ちゅう歌詞の「うーんマンダム」のCMソング、斉藤任弘の日本語バージョンで入っているわ、バズのそれこそケンメリ・スカイラインのCMソング「ケンとメリー」、「若さだよ山ちゃん」の山ちゃん音頭と、70年代前後の、エレキばりばりぐいぐい系と透明感溢れるソフトロック系が混じった、秀逸なコンピレーションとなっている。

 これで、クルマのCMソングでは、「なぜ二人は生まれてきたのなぜ二人は旅に出るの」という生物全体の「生きるとは何か」という根源的な問題に「らんらんらららぁ」とハッピーにも踏み込んだ、スリー・グレイセスの「愛のスカイライン」が入ってたら、もっと嬉しかった。








CMソング・グレイティスト・ヒッツ



 クラウディアってどんなにええ女なんだろうって、って七月二十四日分で載せてたYahoo!オークション先で確認してみると・・


200901081804.jpg



音楽だけの世界に留めておいた方が良いということもある。




B面の「はだしのボサノバ」も和伯(日本ブラジル)折衷のええ曲で、オレが聴いているのは、浜口庫之助がらみのボッサ風サンバ風楽曲を集めた、下のコンピレーション。残念ながら、廃盤だが。








re musica #4 GET SMART-SWINGER!浜口庫之助





 やっぱ、音楽の感想文は、ええ。気持ちええ。よっしゃ、これから、また、音楽聴くぞ。



クラウディアの「恋のカローラ」


あかん、また迷惑メール増えだした。たった一日のしあわせ、だったのね。
 
 「嫌われ松子の一生」、おお、DVD発売決定。予約したぞ。


 あの映画観て、思っているのは、いっそのこと、全部、最近こさえた、嘘の70年代ソングで固めたら、もっとカッコ良くなったんでは?、とか妄想が膨らみつつある。近田春夫のフェイクのアイドルグループソングがずっぽしはまっていたもんで。あの映画、最近ぼこぼこ作られている一連の昭和懐古映画と一線を画しているのは、やはり、忠実に過去を再現しようとするのではなく、「現在過去折衷」(和洋折衷の時代版)ちゅう新たな境地に挑戦しとるとこだろう。意余って力足らずに終わってしもたかもしれんが(昨日「映画は女優だ」と云いつつ、昔の映画少年風理屈をこねてみました)。


 こっちの話題やないねん。
 今日はいつもなら最高温度を記録する時間帯に大雨がが降ってくれたので、非常に過ごし良くなった。
 大雨のおかげで、今の時間帯もわりあい過ごしやすく(スワローズが負けたものの)、よっしゃ、音楽聴いたろやんけ、と前向きになっている。今の時間帯はさすがにヘッドフォンで音楽聴かんとあかんわけで、暑いともう、ヘッドフォンが汗でびっちょり耳にへばりつき、しかも密封状態ができるのか、耳の中の湿度が上昇し、もう気持ち悪いのってなんのって。

 夏の暑い盛り、クラウディアの「恋のカローラ」(1968年、作曲浜口庫之助)、非常に気に入って聴いていた。

 1968年トヨタのカローラのCMソングである。クラウディアって、ブラジルの人みたいだが、1970年前後にどっと出た和製ボサ和製サンバ系の中でも秀逸な曲である。
 かったるい部分あり、ど派手ノリノリもあり、和製ボサノヴァ風サンバ、ちゅう感じか?

 google検索して気が付いたのだが、なんのことはない、オレの七月二十四日 分の日記で触れているわ。・・・・オレは進歩していないのね。その時はクルマでは、眠くなるとか書いておるが、今年の夏は半端じゃなく、クルマでのドライブ、クーラーがんがんに入れてても直射日光で暑いぐらいだったから、ちょうど良くなったんかもしれん。まあ、七月二十四日以来、どんどん音楽ネタが減り、今日に至る、ちゅうわけだが、こっから、また、行くぜ!
 
 今年の夏の暑さで脳細胞が蒸発して頭蓋骨内を気体で漂っていたんが、暑さもピークが去り、ようやっと、凝固してきたと。まだ液体だが。
 

 数年前買った下のアルバムに入っていたのだが、この曲ごしごしに聴いているのは、今年に入ってからだ。なんでか、ようわからん。
 だいたい、このアルバムは、もう、めちゃくちゃええ曲ばっかで、レナウンワンサカ娘ですら、朱里エイコや真理アンヌ、それとジュリーの妹、久美かおりのバージョンは入っているわ、「遠く遙かな、愛の国を求め、君は行くのか」ちゅう歌詞の「うーんマンダム」のCMソング、斉藤任弘の日本語バージョンで入っているわ、バズのそれこそケンメリ・スカイラインのCMソング「ケンとメリー」、「若さだよ山ちゃん」の山ちゃん音頭と、70年代前後の、エレキばりばりぐいぐい系と透明感溢れるソフトロック系が混じった、秀逸なコンピレーションとなっている。
 これで、クルマのCMソングでは、「なぜ二人は生まれてきたのなぜ二人は旅に出るの」という生物全体の「生きるとは何か」という根源的な問題に「らんらんらららぁ」とハッピーにも踏み込んだ、スリー・グレイセスの「愛のスカイライン」が入ってたら、もっと嬉しかった。


CMソング・グレイティスト・ヒッツ

 クラウディアってどんなにええ女なんだろうって、って七月二十四日分で載せてたYahoo!オークション先で確認してみると・・音楽だけの世界に留めておいた方が良いということもある。



B面の「はだしのボサノバ」も和伯(日本ブラジル)折衷のええ曲で、オレが聴いているのは、浜口庫之助がらみのボッサ風サンバ風楽曲を集めた、下のコンピレーション。残念ながら、廃盤だが。


re musica #4 GET SMART-SWINGER!浜口庫之助


 やっぱ、音楽の感想文は、ええ。気持ちええ。よっしゃ、これから、また、音楽聴くぞ。

恋の片道切符(子鹿しおり1969年)


ざまあみやがれ。今日はスワローズ勝つ。

 久しぶりに東京の会社時代の同期からメール貰う。とうとう社長が変わったというので、HP行ってみたら、あららら!社長はおれのかつてのリーダーだった人だし、他にも一年先輩や同期がいろんな高収入そうなポストに。とくにうちらの同期(メールくれた人とは別の人)は一人しか残っていないんで、嬉しい。男心の未練でしょうか、たかりの算段しはじめてしまうが、まあ、人生甘くはないんであーる。けじめもつけなあかん。甘えもあかん。
 しかし、なんとなく、ああ、渋谷の駒形どぜう で柳川鍋、腹一杯喰いたいなあ。くじら屋 で関東味付けのクジラ、コースで喰いたいなあ(あくまで、ひとりごと)。

 金曜、名盤解放・お色気ボックス届く。
 一応、内容について
 幻の名盤お色気キューティー・ポップ解放歌集 ポリグラム編 夜のメカニズム
 幻の名盤解放歌集 Teichikuお色気編 あなたと死にたい私
 幻の名盤解放歌集 ビクター編 ドラマチック・お色気・ブルース
 幻の名盤解放歌集 テイチクお色気編今宵のしあわせ
 幻の名盤解放同盟大映レコードお色気編おじさまいや?
 と、サンドラ・ジュリアンの「セクシー・ポエム」。
 どれもW紙ジャケット。ただし、各盤のライナーは小冊子に集められている。おまけがついとる。

 ちゅうことで早速一枚目の、幻の名盤お色気キューティー・ポップ解放歌集 ポリグラム編 夜のメカニズムから聴き始めた。
 いやあ、ええ。
 単体のジャケットはこんな風。




 このところ、70年代の昭和、つまり昭和46年以降の音楽を主に聴いていたので、警戒感でぴりぴりしながら聴いとったのだ。70年代の音楽ちゅうのは、うかうかしていると、筒美京平や荒井由美やティンパン系とか彼らのフォロアーたちのあざとい商売人たちにずっぽり引きずり込まれ、囲い込まれてしまう。それはそれで、気持ちええもんだが、やっぱ、売れよう売れようとマジメに作っても、出来上がったら、アナーキーでラジカルで、シュールな人類の有史以来何にも似ていないもんが出来てしまう、いわば業を背負った60年代の昭和歌謡がやっぱほっとする。
 ごく自然体でアナーキーでラジカル、シュール、しかも、今聴けば、おまけで「ノスタルジー」もついてくるわけだ。
 
 アルバムひととおり聴いた後、多分、どの曲で止まってもそれなりにここであれやこれや書けるほど、昭和45年までの香りがぷんぷんしてくるけど、今日のところは、「恋は片道切符」子鹿しおり(1969年)にやられてしまう。
 
 これが、ビート歌謡というかグルーヴ歌謡というか、お色気成分は過小だが、ともかく、その分類での王道。こんなええ曲聞き漏らしていた自分はまだまだ若輩者である。

 多分、踊れるわ。
 カッコええイントロで始まって、最初の「約束してね、嘘つかないと 哀しみなんて知りたくないの」遙か未来永劫への広がりを見せておいて、そのままだらだら維持、そして、あれやこれや中途半端な展開見せておいて、またも最初に戻って、「約束してね、嘘つかないと 哀しみなんて知りたくないの」でまたも広がって、そこんとこで、胸がキュン、とするわけだ。
 ええわぁ。
 60年代後半の、まだまだ、当時のパブリックイメージとしての大和撫子風古い女性的心情溢れた歌詞に、ビートばんばんの演奏は、まるで、マヨネーズかけて納豆喰うみたいなもんで(注 たとえ、でオレはそんな納豆の食い方できまへん)、そこんとこ、たまらんほど、ええわぁ。
 子鹿しおり(1951年生まれだから、この曲唄っている時は19!)がミニスカでどこぞのゴーゴー喫茶で唄っていたら、たまりまへんわ。「恋の片道切符」や「涙の片道切符」ひいては「涙の乗車券」を買いに来たヤツが間違えて買うのを狙ったような題名だが、オレは大好き。

 あかん、6枚組のボックスセットの感想書くつもりだったのに。
 

シュガー・マイノットの「GIVE MY LOVE TO YOU」にむちゅう


最初に全国9000万の東京スワローズファンにお詫びしたいことがあります。今日、欲につい目がくらみ、ジョーシンでDMについていたおみやげ引換券と引き替えに、阪神タイガースのバスタオル貰うてしまった告白するものです。今夜阪神戦があるというのに、タイガースのバスタオル貰うとは、日銀総裁が村上ファンドに投資する以上に不謹慎で不実な行為であり、不徳のいたすところでありまする。
 今夜スワローズは勝てる試合を落とししてしました。今後は、ジョーシンは控え、ミドリ電気を利用することにします(しかし、ヤクルト毎日飲んでいる他球団のファンの方々はそのままでおねがいします)。しかし、やっぱ新しいバスタオルは気持ちええ。

 アホなことはこのくらいにして、音楽のネタ。
 

 クルマでちょっと走った。実はまだ、クルマではゴールデンカップスばっか聴いているのだが、今日はiPod Shuffle聴いた。トランスミッター使ってチューナーで音を出しているのだが、ノイズがずっとサーっとのっている。気になる人もおるかもしれんが、だいたい、クルマ、窓開けて走ったら、ノイズのかたまり。ロードノイズから他のクルマの爆音付近のカラスの鳴き声まで、ノイズだらけだから、オレはあんまし気にならない。

 久々にレゲエばっか聴いてたら、ある曲にさしかかった瞬間、どぼどぼどぼどぼっという具合にはまってしもた。
 ちょっとゆったり目の甘いリズムに、着実にふつうに喋っている程度の声量で会わせていき、聴いているオレがそのリズムに慣れ始めたあたりから、徐々にどんどん盛り上げていき、ピーク80%達したところで、盛り上がるかなと思えば、外し、盛り上がるかなと思えば、外す。

 その繰り返しで終わってしまうのだが、これが、めちゃくちゃ効く。

 ある瞬間、もうたまらんようになって、全身の毛穴がぱーっと開き、全身で音を吸収しようとしている感じになり、ホンマにリズムを吸収してしまうのだろう、それから後は、リズムが自分のもんになっとるから、どんな唄い方しようと、どんな音が来ても、どんどんリラックスし、解放されていくだけになってしまい、これが、もう、なんちゅうか、本中華。

 こういうことを出来るのは、レゲエ界広しと云えども、全盛期のシュガー・マイノットしかおらん。

 
 Give My Love to Youというラヴァーズもんなんだが、なんか、iTunesMusic Storeで買うたRare Jems(1979−1986という全盛期のシュガー・マイノットの曲を集めたコンピ)に入ってたヤツやから、詳しい資料がわからん。 バックはRoots Radicsっぽいが、自信がない。

 しかも、もっともっとええ曲とかいっぱいあるので、コアなレゲエファンいや、シュガー・マイノットファン以外にはお勧めはせん。せんが、

 Roots Archives のRare Gems http://www.roots-archives.com/release/975
 屈指の資料を誇るRoots Archivesすらそっけない。
 

 iTunes Music Store Sugar MinottのアルバムRare Gemsへのリンク↓(7曲目が今日書いたGive My Love to You)
Sugar Minott - Rare Gems
 


 
一応アマゾンへのリンクと、ジャケット。



SUGAR MINOTT RARE GEMS


 日本のWikipediaには載っていないが、さすがに本家には。href="http://en.wikipedia.org/wiki/Sugar_Minott"
target="NewWindow">http://en.wikipedia.org/wiki/Sugar_Minot
t
 全盛期と比べるからかも知れんが最近のはあんましええのが無い。オレよりたった2つ上だけなので、まだまだ、がんばってほしいもんであーる。


やさぐれ歌謡考


 楽天にまた勝った(主語ありませんが東京ヤクルトスワローズが、です)。Mac mini関連イロイロ弄りながら(まだまだ、XPの環境が整っていない)、悪評高きライブドアスポーツで途中経過をちらちらと確認する、というつまらんことしていたのだが、ふと、観るとピッチャー高津、そいで、バッターが飯田という、スワローズファンにとっては、「どんなんかなー」(仁鶴)という場面もあって、イラついた。やっぱ、野球とネットは向いていない。数年前、ニッポン放送デジタルショウアップナイターというラジオで中継しているまんまを、Windows Media Playerで音声のみを中継して、ちゅうのがあったが、実はあれが最高で十分なのである。

 てなこと云うている間に世の中はどんどん進み、iBookの後釜、Mac Bookが出るわ、下のような、ありがたい企画もんが出ているわけだ。
 発売予定日が24日にアマゾンではなっていた。下のリンク先はアマゾン。

Hotwax presents やさぐれ歌謡シリーズ1「やさぐれ歌謡最前線」
2006年5月17日発売。雑誌「Hotwax」監修による1970年代歌謡コンピレーション第2弾!本誌で大好評連載中の「やさぐれ歌謡最前線」からの企画盤。70年代のヤバい空気とロックな魂が生み出した最新和製レアグルーヴ!
収録曲
1.みなしごのブルース/アワネ麻里
2.ナイト・トレイン/アワネ麻里
3.とても不幸な朝が来た/黛ジュン
4.星の流れに/秋吉久美子
5.エリカの花散るとき/秋吉久美子
6.海は女の涙/石川セリ
7.やさぐれブルース/賀川雪絵
8.野良犬/賀川雪絵
9.街/桃井かおり
10.尻軽女(アバズレ)ブルース/桃井かおり
11.月影のTOKYO/篠塚満由美
12.怨み節/梶芽衣子
13.涙のかわくまで/西田佐知子
14.欲しいものは/梶芽衣子
15.酔いどれ女の流れ唄/加藤登紀子
16.いつか男は去って行く/川辺妙子
17.野良猫/ガールズ
18.パンキー・ハイスクール・ラブ/ガールズ
19.LOVE JACK/ガールズ
20.東京迷路/藤圭子

 
 今年、iTunes Music Storeで西田佐知子を一曲ずつ買い、それをバカ聴きしているが、29回も聴いた「涙のかわくまで」が入っている。
 歌詞は、単純に、別れ際の男女、女がせめて涙が乾くまで一緒におってちょうだい、とか懇願する歌詞なのだが、聴いてみると、どうも、そういう未練たらしい感じがせず、別れても男を支配し自分の自尊心を保護する感じと、棄てられたんだから、もうアタシはこれから先は、もうどうだってええわ、という投げやり感の入り交じったワケのわからん曲であった。西田佐知子のドスの効いた声がそういう不可思議な世界を創っていた。
 
 このCDのタイトル、やさぐれ歌謡って何?となるのだが、やさぐれ、ちゅうのは、やさ=家、ぐれ=? でも、やさぐれ=家出とかなるらしい。家出歌謡か。ちょっと違う感じがする。 今はひきこもりが流行りだが、60年代後半は家出が流行りだったそうである。外か内かの違いだけで、実はなにも変わっていないのだ。変わっている、と思うからややこしくなってくるんで、変わっていないと思えば、まあ、そんな悪くないような。

 それはおいといて。

 ワケのわからん惹句というか。ともかく、「70年代のヤバい空気とロックな魂が生み出した最新和製レアグルーヴ!」やねんから。
 しかし、賀川雪絵とかアワネ麻里とか、めちゃくちゃそそられる。なんやねん、アワネ、って。きっと、「やさぐれて」、いろいろあったんだろう。女優陣は梶芽衣子以外、桃井かおりや秋吉久美子とかは、あんまし期待してない。まあ、彼女らをリアルタイムで知らん人はスゴいとか思うかも知れんけど。
 
 70年代の音楽はしかし、ちょっとこれから、聴こうかと思えば、キツい。初頭はほれ、「愛と誠」の花園学園(だっけ)や「仁義なき戦い」とかの殺伐な雰囲気だし、後半はもう、オレ自身思い出すなに恥ずかしいことばかり、変に当時の音楽聴くと、そのアホな自分にタイムトリップしてしまい、布団かぶって枕抱えたくなるわけだ。ホンマ、あの頃はアホやった。

 ちゅうことで。聴きもしないで、発売前なのに。


 

 

玉姫伝: ライヴ含


暑い。
 昨日けっこう歩いたせいか、もうメロメロ。
 で、ふ、っと気がついたのであるが、このところ、自転車まったく乗っていない。5月も半ば頃になると、気温は上がるし日射しがキツくなるので、自転車乗る根性が無くなってくるわけで、ちょっと、意識的に乗るようにせにゃなりまへん。
 

 HMVでDVD2枚買うと、20%オフというキャンペーンやっていたもんで、オレらしいといえばオレらしいセコい動機で、ついつい戸川純の「玉姫伝〜ライブ含有 」とソフトロック・ドライヴィン のDVDを買ってしまう。

 一週間前届いて、ちょこちょこ、戸川純の1984年のライブを聴いているのだが、だんだん、「私の母はママ、私の父はパパ(このライブでは、私のパパは父、で唄っている)」(電車でGO!)とか、「あんちょんよよよー」(「踊れない」)、「いいいいいー↑(1オクターブ上げて)いー」(「昆虫軍」)とか、かなり耳に残りはじめ、口走らないようにしないとあかんかな、という状態。せっぱ詰まった時、「私の母はママ、私のパパは父」程度はぼそっと云ってしまうかもしれない。

 ライブだが、ショートコントみたいなのが曲のあいまに入れてあって面白い。セーラー服姿の戸川純がためらいながら迷いながら、線路の上に横たわったものの電車が近づくやいなや、あわてて逃げ出すと、路上へ転げ落ちてそこへ自動車がきて轢かれてしまう、とか、目黒の寄生虫館へ小学生姿の戸川純が訪れ陶然としながら寄生虫を見ていると、後ろから顔がハエの男が現れ、戸川純、びっくりするものの、おそるおそる会釈をしながらその場を去り、ようやっと外へ出たら、ハエの男も外まで出て手を振って送り出してくれる、とか。けっこう、戸川純のびくびくした演技、オモロイ。
 
 あと、ステージ衣装も、80年代アイドルっぽいミニスカ風(これで、玉姫様やって、ステージに寝転がってのたうち回る!)から、巫女風、ランドセル背負って黄色い帽子の小学生風とかで、それぞれインパクトある。

 ただ、当時、ある程度衝撃を受けた記憶のある玉姫様とか、諦念なんちゃら(諦念プシガンガ、でした)とかは、なんか、「狙いすぎとちゃうか・・」「やりすぎとちゃうか」とか、さすがに47才にもなるとスれてしまうのか、思ってしまい、今は上で上げた三曲けっこう繰り返し聴けて、その中でも、ちょい小学生が入った「電車でGO!」が一番のお気に入り、といったところか。
 
 戸川純はいろんな声を一曲の中で使い分けるのが得意だなあ、とあらためて感心しました。この人は盟友さんど さんをはじめ、全盛期はコアなファンがおった方。オレとしては、やっぱ、女性っぽさが溢れる歌詞が、なんか、触れてはあかんような気がして、あんまし、当時は、深入りできなかった。できなかったが、今はもう、「私の母はママ、私のパパは父」ちゅうもんよ。

 1984年、ラフォーレ原宿(!!!!)でのライブ、全13曲、45分。
 
 そいじゃ、「私の母はママ、私のパパは父」、ちゅう感じで。

「ワン・レイニー・ナイト・イン・トウキョウ」を聞き比べてみた


まだまだ蒼い緑の葉桜も目立つようになってきたけど、踏ん張って満開状態の桜木もある。
 昨日今日と法事。芦屋まで行く。神戸空港でけてから、なんか、変な運転をするクルマが増え、困る。
 スワローズようやっと勝つ。スワローズファンの方より、ひさびさに喜びのメールをいただき、うれしい。
 負けても我慢するけど、やっぱ勝って欲しい。次は原ジャビット軍団・・・負けんといてや、負けたら、阪神ファンにいじめられるんや。
 
 ということで、昨日の昭和キャバレーグルーヴに2つも入っていた「ワン・レイニーナイト・イン・トウキョウ」である。
 iTunesMusicStoreで西田佐知子のヤツをダウンロード購入する。
 もちろん、全曲集まるごと買った方がやすいのだが、西田佐知子はやっぱ、オレの音楽聴く能力のキャパシティを遙かに超えたもんがあって、アルバム丸ごとなんぞ聴くものなら、ある段階でいっぱいいっぱいになってもて、レゲエへ逃げてしまう。

 で、西田佐知子だけは、一曲一曲買いながら聴くことにする。ボックスセットも出てるようだが、あんなもん通して全曲聴こうもんなら、あしたのジョーみたいに白く燃え尽きてしまいそうな気がする。

 
ワン・レイニー・ナイト・イン東京 和田弘とマヒナスターズ 1964 青春歌年鑑 BEST30 ('64)
ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー 越路吹雪 1965 青春歌年鑑 BEST30 ('65)
ワン・レイニー・ナイト・イン・トウキョウ One Rainy Night In Tokyo  シンガーズ・スリー リヴィング・スキャット Neo Standards
ワン・レイニーナイト・イン・トウキョウ 原信夫とシャープス&フラッツ1972昭和キャバレーグルーヴ
ワン・レイニーナイト・イン・トウキョウ 鈴木道明とビクター・オーケストラ 1970 昭和キャバレーグルーヴ


いろんなコンピに入っていて、おれのiTunesに入っている「ワン・レイニーナイト・イン・トウキョウ」である。

 かくして、オレが一番聴きたかった、

 ワン・レイニイ・ナイト・イン・東京 西田佐知子 西田佐知子: 全曲集(リンク先はアマゾン)
 
が加わったわけである。

 伊集加代シンガーズスリーのぱやぱやのスキャットで歌詞のちょっと湿った部分を排除したバージョン、昨日きいた2つの「ワン・レイニーナイト・イン・トウキョウ」で外堀は、まあ、埋まった。
 さて、歌詞と楽曲が組み合わさったディープでコアなバージョンを聴いていくことにしよう。

 (歌詞Mid等詳細はhttp://www.duarbo.jp/versoj/v-sengokayou/one-rainy-night.htm)

 歌詞をチェックしてもらえばわかるように、雨がふったんで、あの人が会いに来なくなって淋しいわ、ちゅう、なんの変哲もない、歌謡曲王道の歌詞である。
 だけど・・・
 
 一番早い1964年、マヒナスターズのヴァージョンは、まあ、小雨降っている日、キャバレーもしくはナイトクラブは暇である。いつも来てくれる客でちょっと憎からず思っているあの人が来ない、こんなに店が暇な時、あの人がもし来てくれたら、いつもの日できないおしゃべりまで、ゆっくりしてあげたのに、ひょっとしたら、それが恋につながるかも知れないわ、ああ、来ないかしら。ああ、さびしいことだなあ、というホステスさんの感じである(基本形)。こういう唄は和田弘とマヒナスターズという男性ヴォーカルが歌わないと、歌詞が本来持つストレートな女心が伝わってこないのが日本である。

 1965年の、越路吹雪となると、東京は東京でも、それこそ、フランスがかった「トーキョー」で、小雨降るのは、セーヌ川の大河に雨打つ風景がもうぱーっと広がるわけだ。ほとんど「シェルブールの雨傘」の世界である。「お話したいの」はもう、これは一晩徹するお互いの肉体をのたうちまわせながらする「お話」である。ちょっと洋ピンがかかった世界ではあるのでないでしょうか。
 小雨がふったぐらいで、会いに来ない男は、果たして若い恋人か、そいとも、年長のパトロンか。ここらへん、ぼかして唄っているため、深淵なスケベさを暗示しているわけである。どちらにせよ、相手はもちろん金髪のフランス人であることは確かではある。



 西田佐知子は、雨に強い。当たり前だ、国会議事堂前で60年安保反対のデモでの戦いのさ中、「アカシアの雨にうたれて、死んでしまいたい」と腹を括った西田佐知子である(注あくまでも曲を聴いてオレが抱いたイメージで、事実とは異なります。以下も)。「ワン・レイニー・ナイト・イン・トウキョウ 」、ここでふるのは、たかが「小雨」である。「アカシアの雨」ではない。しかも、小雨降ったぐらいで、アタシに会いに来ない男なんか、甲斐性なしもええとこ、である。何せ、アタシは、「アカシアの雨にうたれて、死んでしまいたい」ほどなのだ。




 となると、「ワン・レイニー・ナイト・イン・トウキョウ 」における「しんみりあなたと お話したいの」は男女の恋話とかじゃなく、もちろん、政治論議である。この前はホットになりすぎ一方的にやりこめてしまった。今度はお互いに冷静に議論しましょうよ、と電話したら、雨がふっているから行くのやめとくわ、との返事、何よ、小雨がふったぐらいで、議論から逃げるなんて、「つれない方とうらんでますのよ」である。

 彼女に惚れているが、こてんぱんに、彼女に議論で負けて、自尊心ズタズタにされた男の「なんにもいわずに別れたあの夜」である。
 雨がふったせい、それも「小雨」程度がふったこと言い訳に、彼女との議論を拒否するような男、である。

 2番の歌詞で、「しみじみ思い出しているのよ」「アイ・ラブ・ユー」とか「あなたがいるなら何にもいらない」・・・ここまで彼女が云うなら、当然、相手はもう死んでしまっている。同じ闘争をしてきた者同士の同志愛がホンマの愛に変わった瞬間である。ちょっとヤワな男やったけど、今や誰もアタシが怖いのか、議論ふっかけてこない、淋しいことだなあ、あの人、熱い議論をふっかけてきただけ、マシな男やったんやわぁ、あたしも熱くなれたのは、アナタが好きだったのかも知れない、いいえ、アナタのこと、好きよ、切ないわぁ、である(ちなみに西田佐知子は大阪生まれの大阪育ちである)。
 2番のしょっぱな、「小窓うつ音は、雨のささやきか」の最後の「か」を彼女は「かはぁ」と同じ大阪の後輩和田アキ子的、H音、強調しているとこがポイント。まぎれもない、大阪弁の「でっか?」の「か」である。
 
 まあ、同じ曲を聴きながら、妄想を膨らましに膨らましてみたが、越路吹雪も西田佐知子も「声」が強いのである。歌詞が表現している「来ない男を待ち続ける、切ない女心」、いくら聴いても、感じられないのである。
 
 西田佐知子の声は、ホンマ、ず太い。そいで、からからに乾いている。
 声の質が否定しようとなんどもしたが、どうだって、ジャマイカの太っ腹アドミラル・ベイリーに似ている。アドミラル・ベイリーは、ジャマイカの「男西田佐知子」と呼ぼう。

 

1985 MASTER MEGAHITS


27歳、1985年の暮れ、それまでの一ヶ月440時間×6ヶ月働いた金をもって、10日間(ただし、ニューヨーク待機四日含む)ジャマイカに行ってきた。、正月休みと、会社にゴネまくって強引に有給かっぱらい2週間休み、ジャマイカは観光都市モンティゴベイへ行ってきた。着くなり、ホテルのDJと仲良くなってしまったんがアカンかった。なんのことはない、リゾートホテルに泊まり、夜な夜な朝までそのDJに付き合って、踊りまくり、昼はビーチでてれんこてれんこしたあとは、昼飯喰いに、下町まで行ったりマーケット行っておしゃべり、その後、適宜昼寝するかまたビーチで遊ぶか、というそのDJの日常パターンとあわせて過ごしたことになる。



 当時、まだまだ、日本のレゲエファン=ボブ・マーレイファンである。オレも渡ジャマ一日目まではそうだったと思う。バスで首都キングストンまで数時間かけていき、レゲエが発祥したと云われるゲットー(トレンチタウン)を訪れるつもりであった(これがいかに、無知で危険極まりない行動ということか、当時はアホやからようわからんかった)。



 しかし、着いてあれやこれや見たり聴いたりしとると、なんや、わざわざ、混みまくったバスで数時間揺られたり、タクシー大金払ってチャーターしてまで、キングストン行くのも、アホらしくなるほど、モンティゴベイはええとこだった。あたりまえだ。アメリカの東海岸の連中にとっては、割合気軽なリゾート地、つまり、日本で云うところのハワイや沖縄、いや熱海みたいなとこなのであった。海はキレイし、姉ちゃんはキレイだ、飯は不味いが下町の中華料理屋行けば、旨い。



 ホテルのディスコも午前0時までは、フツーの日本のディスコと変わりない。宿泊客や周辺のホテルから集まってくる観光客のためのもんだ。このあたり、日本のスキー場並みだ。観光ディスコかよ、と呟いたりしてた。



 ただ、0時を過ぎる様相が一変した。観光客はナンパとか終えていなくなるのか、ジャマイカの音楽が怒濤のごとくかかり始める。もちろん、ダンスしている客の人種が変わって地元の方々が増え、むわぁぁぁという熱気がぱっと広がる。ジャマイカの音楽はジャマイカの音楽だが、どうも、レゲエとは違うような気がして、DJブースに入って、DJに聴くと、すれんてん、とか云う。何じゃ? 今、流行ってんねん。へぇ。ソカちゅうもんか、ちゃうわい、ま、ええから、フロア行っとけ、スゴいから。

 

 混みまくったフロアに戻ると、大音量がどぶっといリディムを刻んでいる。リディムを追いかけると、はぐらかすように、突然、消え、ヴォーカルだけが虚空を舞う、ヴォーカルを追っていると、また、図太いリディムだけが戻り、エコーがかかったままフェイドアウトしていく。何か演説みたいなのがえんえんリズムに合わせて始まったかと思えば、別の曲は、音程をわざと外してえんえん唄っている。泣き声やサイレンで始まる曲とかもあった。

 数曲こうしたのが続いてようやっと愕然とする事実に気がついたのである。

 全部同じ曲だ!もちろん、ヴォーカルが違うし、かなり大胆なアレンジとかしておるので、すぐにはわからんかったが、同じ曲である。

 しかも、そのリズムが体にすっかりしみつき、「もっともっと」状態だ。



  なんじゃ・・・これ!!!!

 DJブースに飛び込み、おい、なんやねん、これ? DJはすっと、ジャケット(下のコンピュータ)だけを見せてくれた。

 LP中すべて、同じリズムトラックで、ワンウェイというものだ。ただ、同じ曲とは云う物の、唄をかぶせてあるのは歌詞は歌い手やDJによって異なり、いろんな擬音がまぶしてあったり、アレンジしてあったりして、個性を発揮している。ただ、えんえん同じリズムが続くわけで、それが、最初の飽き、二度目の飽き、三度目の飽き、とかを突き抜けていくと、やがて、ばぁーっと目が覚めるような快感(これをグルーヴと云うのかも知れん)が広がるんである(念のため、アルコールとタバコを除く一切の薬物等は使用していません)が訪れ、踊れば、ああら不思議、いつのまにかそのリズムにぴったし・・・という状態になってくる。



 オレのレゲエ、否音楽への接し方をまるっきり変えた記念すべきアルバム。

  Computer

 

 

 そして、ゴンピューターじすいずコンピューター、とまるで、中央卸市場のセリの時聴かれるようなアグリーマンのダミ声がフロアを満たしたのであった。

 やがて、スレンテンと呼ばれる、この手の走りというのが始まった。ごくごくシンプルなかけ方で、2台のターンテーブルの片方にこのアルバムもう一方に、同じリディムトラックのもうひとつのLPかシングル盤のせ、交互に、ひたすら、切れ目無く続けていくという、最もシンプルなやり方。BPMあわせもクソも同じ曲だ。それだけなのに、もう、ハマるハマる。廻りもスゴいノリだ。



 1985年に突如現れ、レゲエを再定義したお化けヒット。

 1985 Master Mega Hits (Sleng Teng Extravaganza)

 





 上のスレンテンより先に生まれていた。がスレンテンにつられて大ヒット。 

Stalag 17,18 & 19







 かくして、以降、来る前の異様な思いこみ、つまり、ボブ・マーレイを生み出したとはいえ、キングストンの銃撃戦が時折あるゲットーへ言葉幼稚園レベルの日本人単身で乗り込むとかがアホらしく思え、ひたすら、フツーのリゾート風休暇しながら、ホテルのディスコにいりびたり、どっぷり音楽にもハマり続けたのであった。なんか、温泉の代わりに音楽がある感じ。そいと、ホテルDJの尽力もあって、街に出れば、フツーの人たちと音楽についていろいろ話せ、スキヤキを一緒に唄い、その年の飛行機事故で死んだわが国の歌手 を悼んだりして、楽しみまくった。



 ホテルのディスコとはいい、デカい30センチのウーファーがいくつもあり、夜中でもデカい音量だせるようになっていた。体中に、浴びるほど、体の細胞一つ一つまで、音圧を感じながら、聴く、という快楽を初めて知った。



 オレが訪れた時というのが、ジャマイカの音楽が史上最も大きな変化をしていた時ということがわかったのは、帰国して随分たってからだ。

 完璧にノリが変わったオレは(というよりある種、リズム中毒状態)、それから数ヶ月は、もっとも音楽的に幸せな日々を送ることになる。

 

 しばらくたって、ようやっとジャマイカのシングル盤が輸入店に出回りはじめた。



 まるで、八百屋で新鮮なリンゴやミカンを買うのと同じノリで、ただ、「新しい」かどうかだけで、シングル盤を選んで、それで満足していた。しかも、青いジャミーズ(下の写真)やテクニークスのヤツなら、ハズレが無かった。いいのがあれば、ひたすら何度も聴いて、体に覚えさせておく。それは、もし、大きな場所で大音量で、その曲がかかったら、すぐに、体がそのリズムについていけるため、だ。

 当時、輸入盤屋ではジャマイカのチャートつけてくれたりしてたが、そのチャートとびったしオレの好みがシンクロしていた時の嬉しさはなかった。



 

 ミュージッシャンの思想や歴史(生きざま、とか云う気持ち悪い連中もいる)がどうのこうの、というのから解放されるのが、こんなに気持ちええもんか、と。

 

 まあ、最近、とかく、音楽、頭で聴いてしまっていることが多く、早川義夫氏みたいに心で聴くには、あと50年かかると思うし、音楽を聴いていて一番楽しかった頃を反芻してみました。

定本リー・”スクラッチ”・ペリー


石井一久がスワローズに帰ってくる。嬉しい。10年後、木佐 が沙知代みたいになったら、オモロイのだが。
 昨日なんか、セックス・ピストルズのボックス、買って以来数年ぶりに聞きかえしたぞ。
 ちょっと前まで、伊東ゆかり伊東ゆかり云ってた人間が・・・・・ま、そいでええのである。好きなもんがどんどん増える・・・そうじゃないと、人生長生きする意味ない。

 しかも、この週末はかのソフトロック・ドライヴィン〜ビクター編 をアマゾンから届くのを楽しみにしてたら、アマゾンから届いたのは、「定本リー・”スクラッチ”・ペリー」という本。一週間前、アマゾンで2−4週間待ちだったので、ま、ええわ、と注文したヤツが届き、2ヶ月前から予約してたヤツが発売日に来ない。人生、いろいろ。

 さて、この本であるが、膨大な量のリー・ペリーがらみのレコードの中から、160枚(!)選びレビューするという気の遠くなる作業の上にたっており、しかも、「本書監修者の行った最大の仕事は、載せる盤を選んだのではなく、むしろ大量の載せなくてもいい盤を精査して排除することでした」と、難しい「引き算」の考えによっているから、その熱意作業量、もう、スゴい。

定本 リー“スクラッチ”ペリー



 あと、嬉しいのは、オレなんかがリー・ペリーに関していろいろ持っていた先入観によるある像をぶちこわしてくれた「スクラッチとの一ヶ月」というソニー落合氏のエッセイ(1986年レゲエマガジン)が再録されていることである。
 3歳の北斗君と本気でケンカはするわ、部屋に落書きはしまくるわ、ミュート・ビートのカセット、靴下の中に入れたまま返さないわ、20年以上ケンカしていたとされていたコクソン・ドットと、あっさり、仲直りしてしまうわ。御大の数百枚のアルバムのレビュー読むより、ずっとリー・ペリー御大(そうだ、「御大」という尊称をつけることにしてたのだ)好きになれるだろう。



 リー・ペリーは、1936年ジャマイカ生まれの爺さん(今年70歳か・・・)である。



 過去気の遠くなるほど膨大な仕事をいろんなところでいろんな人として、尚かつ、今も以て、音作りにチャレンジし続ける・・・ウチの国にもかのリー・ペリー御大に匹敵するお方がおられるのであるが・・・・・教えたらへん。






WALATTA/BRENDA RAY


今年になってから買ったCDがどっと届く。と、言っても4枚ほどだが。

 レゲエはもう、たいていのことは驚かないのだが、ひさびさに、聴くやいなやのけぞり、そのまま後ろ向きにひっくりかえりそうになって、思わず爆転して事なき終えたが(陳腐な表現)、Brenda Rayというイギリスの白人おばさん(実年齢不詳写真で判断)のWalattaちゅうアルバム。

 

"Walatta" (ブレンダ・レイ)


Hi Fashion Records

変態音楽ファンにはたまらない、当店(おそらく当店だけです)で驚異的なセールスを記録しているBrenda RayのCdアルバムが入荷!独特のちょっとエッチなあやしいウイスパーボイススタイル、ピアニカ、マリンバなどヘンテコなアレンジ、そしてあくまでベースはルーツレゲエという、異次元感覚満載のサウンドにびっくりすること間違いなし!?こっそり、ささやくようにお勧めしたいタイトル、「このタイトルは内緒です」
 
 ちゅうので、買ってみたのだが、・・・正解・・・いや・・わけわかりまへん。

 中ジャケには、リー・ペリー御大とのスナップ写真みたいなのがある。が、このアルバムに参加したかというわけではない。

 ただ、音的に具体的などうのこうの共通点はないが、最近の一連の御大リー・ペリーの曲(例えば、Burn Funkyとかでの、御大の音程を無視し、全くのフリースタイルで、ひたすらリズムにからみついていくヴォーカル)を聴いて得られる快感と似ているかもしれん。



 基本はジャマイカのリズムトラックの上に適当にささやきヴォーカルやメロディカやいろんな音を乗せていっている感じだ。一曲目は懐かし哉ヘプトーンズのファッティ・ファッティのリズムトラック(カラオケ)を使っているんで、まあ、「ツカミはオーケー」という感じで聴くことがでける。

 
12曲目なんか、「Everybody's Talking」、ニルソンの「真夜中のカーボーイ」のカヴァーなのだが、それに気がつくのに、曲の半分ほど聴いたところでようやっとというありさまだ。ささやきながら唄ってるんで、わからんのだ。

 

 ブレンダおばさん(ねえちゃん、かもしれんが)はメロディカ、クラリネットから、トライアングル、とか、・・・琴まで使っている。

 

 ひょっとしたら、Walatta=笑った、だったりして。

 まだまだ、ようわからん。ただ、変に気持ちええ。



 一応視聴できるサイト http://www.juno.co.uk/artists/Brenda+Ray/


 
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