こりゃ、あかん。
You Tube でレゲエに手を出したら、際限なくなってしもた。
テナー・ソー。大好きなシンガーだった。Youth Promotion出身で、アウト・オブ・キーちゅうはずしまくる唱法がかっこよかった。
懐かしのジャパスプ、1986年の雄姿。それから一年と経たないうちに訃報だ。ハドソン川に浮いていた。
このジャパスプ、オレも行き、ステージの後か前か忘れたが、フツーにテナー・ソーが売店でビール飲んでおり、サインしてもろたか握手かした。まだまだレゲエちゅうとボブ・マーレー的なルーツ系であり、ダンスホールものは認知されていなかった頃である。
1985年のライブ。ジャマイカか、ジャマイカ移民の多いとこか。日本と同じFeverちゅう曲やっているが、まるで別人。当人も観客もノリまくっている。この差が当時のオレは我慢できずに・・・
しかし、フィーバーちゅう曲、とちゅう歌詞が「踊れタイミング」と聞こえてしゃあなかった。
ジャマイカのどっかわからん、狭いとこのライブ。ラバダブ。ひとつのリズムトラック(多分、テンポ)をテナー・ソー、ニコデマウス、スパー・キャッツと3人のDJやシンガーがつなげまくる。まあ、なんてことない動画だが、このシチュエーションが当時の日本におってはわからず、何かとんでもないこと、とてつもないことがジャマイカで始まっている、とはるか彼方極東へ漏れてくる断片化した情報から、想像力、妄想を膨れませていたのである。そいでもまだmだ、膨らませ方が足りなかった。
シングル盤一枚の音源からみんなでよってたかって、すごいもんが際限なく生み出されていたのである。
まだまだ、なんぼでも出てくるんでこのあたりで。
1985年ごろは、ステージと観客の間に結界みたいなもんが存在してなかった感じがする。