青山ミチの「ミッチー音頭」


珍しく、スワローズ勝ったのだが、大勢に影響なしちゅうのが寂しい。

 Macの入力、この数年来、ATOK16使っていたのだが、そろそろ、と思っていたら、ちょうどEGBRIDGE のバージョンアップが来たので、EGBRDGE使ってみることにした。さっき、インストールしたところなのだが、まあ、使えそう。ちゅうか、すっごい便利やんけ。


 今日は地蔵盆。
 夕方、少年少女諸君がお地蔵様にたむろして、せったい、貰っていた。
 盆踊りも行われていて、国道に出ると近くの神社から、なぜか大音量で「月が出たでた」が鳴り響いていた。血が騒ぐ。この気分がすべての音楽ちうもんの基本かもしれん。

 盆踊りといえば、思い出すのは、悲しいことばかり。
 小学校のころ、夏休み中ほったらかしにしていた「力の5000題」の何問か解かないと、行ったらアカンちゅうことになって、虚空に反響する、ドンパン節やら炭坑節聞きながら、一生懸命むつかしい算数の問題、解こうとするが、アホやからでけへん。はやる心を抑えきれず、足をじたばたさせながら、「力の5000題」に向かい、ようやっとでけて、走って行ったら、もう終わりだった。粋ぶって後ろの帯に団扇を差した浴衣姿の同級生やら近所のガキが、汗まみれでアホ面さげて、せったいのラムネをラッパ飲みながら三々五々して帰ってくるのを焦って逆行していくオレ。盆踊りなんか、大嫌いだ(ちょびっと大げさに書きましたが実話です)。
 
 うちの近所の公園でも、近いうちにある筈。
 ちゅうことで、ここはひとつ、久しぶりに、青山ミチ の「ミッチー音頭」(1963年)を聞きながら、数十年前の少年時代の借りを取り戻すわけや。

青山 ミチ(あおやま みち、1949年2月7日 - )は日本の歌手。本名は八木フサ子。
神奈川県横浜市出身。父親は在日米軍の黒人兵であった。1961年、ジャズ喫茶が主催する素人ジャズコンクールで入賞したのをきっかけにポリドール・レコードの目にとまり、翌1962年「ひとりぼっちで想うこと」でレコードデビューした。パワフルでパンチのある歌声が定評で、ミッチーの愛称で親しまれ、1963年には「ミッチー音頭」が、1965年にはエミー・ジャクソンと競作となった「涙の太陽」が大ヒットした。その後日本クラウンに移籍したが、不祥事(覚せい剤で逮捕)(1974年3月に万引きで現行犯逮捕)が相次ぎ、芸能界から追放状態となる。
その後は長らく消息不明だったが、娘と2人で生活保護を受けながら暮らしていることがTV番組「あの人は今!?」の調査でわかり、関係者のショックを誘った。

[From 青山ミチ - Wikipedia]
 炸裂系の景気のめちゃくちゃええ曲。当時、各地の盆踊り会場で、この、ど派手なR&Bの音頭、こういうのもかかったんだろうか。
  

青山ミチ ゴールデン・ベスト

 YouTubeでは、エンケンのカヴァーしかなかった。
 
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