カルトGS


Tubeからいろいろ。
 多分、ここでもう既に紹介済みかと思うが、ま、堅いこといわんと。
 殆どが映画からのソースだ。チクったりしたら、あっちゅうまに削除されちゃうから、気をつけてね。
 

 まずは、ゴールデンカップス。まあ、テレビ番組からだが、司会(尾藤イサオ)の喋っている言葉、明らかに今とノリがちがう。オレも今からこういう感じで喋ったろかな。




 けっこうでした。けっこうついで、に、カルトGSといえば、レンジャーズ

 
レンジャーズの最高傑作、「赤く赤くハートが」。今世紀になって、生まれて初めて、この曲を聴いた時、いったい、オレの音楽生活、ちゅうのは、何やったんか、と思ったもんや。中学から高校にかけて、パンクやニューウェーブやレゲエとか新しいジャンルの音楽が出るたんび、飛びつくタイプな人間だったが、1968年か67年か知らんが、この曲、リアルタイムで聴いていたら、そんなに吃驚仰天することなかったのに、と思う。
途中までだが、まあ、しゃあない。


 
 カルトGS御三家ってあるんか無いんかしらんが、もう一方の極、アウトキャストもある。
 ガレージ(あんまし、よう知らんのだが、知ったかぶり)としてのカルトGS。





 いちおう、ピンキーチックスも・・・いちおう。



 カルトGSではないが、末期GSの、オックス。


 不思議なことに、「パッチギ」でのうそのオックスの方が懐かしく思えたりする。グループサウンズがライブする「ジャズ喫茶」は行ったことはないが、なんか、ストリップ小屋風な雰囲気なのね。


 
嫌韓流 」と「パッチギ! 」が奇妙に同居していた時期もあったのだ。
 いろいろいろいろあるかもしれんが、要は両方からオイシいとこ取ったらええの。それが神戸の人間のスタイルだ。
 「パッチギ!」での、沢尻エリカ、かわいかったなあ。そのシーンのヤツ、探したけど、さすがにない。
 下のような感じだとフツーでアカンねん。いや、アカン、ちゅうても、アカンことないよ、エエよ。エエですぅ。

グループサウンズ以降


スワローズやああスワローズやスワローズや
 ああスワローズ・・スワローズ、あなたはどうして、スワローズなの?
 芭蕉とシェークスピアがいっしょくたに憑依してくるような対阪神三連戦でした。

 とまたワケのわからん事書いてしまいそうになるが、まあ、気を取り直して、今日はキャロル を聴いちょる。

 高校の修学旅行の時だったか、そんなサバけた学校じゃないのだが、夜、なんか、ディスコ大会やってた。遅れてそのホテル付属のディスコルームのドアを開けると、それがキャロルとビートルズばっかぶっ続けに流れているだけなのに、何故かみんなノリノリで踊りまくっていて、ウブなオレは「ウソや」と何故か思い、すぐに出て行ったもんだ。一緒に入った、だるまとんろう氏はもう腰を抜かさんばかりに、吃驚仰天していた。

 これは、校則かなんか知らんが、体育ん時着る緑のジャージ、全員着とったんで、そのまんまで、マスゲームよろしく、お尻ふりふり、踊りまくっとるワケで、それはそれは、何というか、とても、むさ苦しい光景だったのだ。せめて、女子だけでも、ミニスカだったら、まったく、別の印象を抱いただろうが、女子も緑のジャージ上下。まあ、ブルマだったら、別のジャンルの世界へ突入して、今頃、ここで、こうして生きていないだろうが。

 それ以来、キャロル 聴くたんびにそのむさ苦しい光景が浮かび、しかも、当時キャロル自体、もう、ファンといったら、ヤンキーばっかで、どう見ても、むさ苦しい人たちが多く、以来ずーーーーーーーーーっと、キャロル=むさ苦しい、というイメージがあった。でも、今聴くと、ちゃんと、「ノリ」と「胸キュン」を抑えており、まあまあ、エエ。
 
 フツーにシンプルなロックンロールは、上に書いたように、最低限どんなことがあっても、「ノリ」と「胸キュン」が抑えてあって、ややこしいこと考えなくて、エエ。そりゃ、当時のウチの高校生がジャージでも踊りまくれる筈や。「やりきれない気持ち」「憎いあの娘」なんか、もう最高やんけ。

 ただ、「甘い日々」、ちゅう知っとる人は知っとるんやろけど、オレは初めて聴く感じの題名どおりの、甘ったるい甘ったるい曲があって、途中から、ハスキーなネエちゃんのセリフが入り、うっとり、ああ、めっちゃくっちゃエエ・・・と思ったら、突然、バリバリのロックンロールになって、例の「オールライト」と「オーケー」連呼し始めたんで、興ざめ。
 まあ、キャロルとオレの間には、超すに超せない深い深い溝があるんやな、思った。
「夏の終わり」もええ曲やけど、何度も聴いとると、加山雄三聴きたくなってしまった。

 
 
 
 
 
 昨日は、なんか、テレビで、チューリップ やってた。チューリップ、ワシらの若い頃は、ものゴッツう流行ってたもんじゃ。
 番組では、ビートルズ、っぽい、ちゅう音だということだったが、どこがビートルズやねん、と思っていた。
 そいで、何曲か、今のメンバーで当時の曲をやるんだが、それ聴いとると、あらためて、ああ、グループサウンズちゅうのは、スゴかったんだな、と思った。
 チューリップ、当時も、そして、今も、相変わらず、こっちへ入ってこない。耳を舌に例えると、オレがオイシいと感じる味蕾以外のとこ狙ってつるりんと行ってしまう。多分、そこが彼らの音が好きな人は、たまらなくオイシく感じる部分なんだろう。
   

 あと、音が作る世界より、歌詞の世界に頼っている感じやな。標準語を「外国語」として扱える、福岡出身のグループやな、と何故か思った。
 
 七十年代なんて、大キライ。

黒沢進氏を悼む


黒沢進氏が19日亡くなられた。 http://yaplog.jp/saeki/archive/612

黒澤 進(くろさわ すすむ、1954年9月5日 - 2007年4月19日)は、日本の音楽評論家。「GS研究家」の肩書きを掲げ、グループ・サウンズ研究及び評論の草分けとして常に第一線で活躍。グループ・サウンズを中心にロカビリーやフォークなど、1960年代前後の和製ポップスに関する評論や解説を専門とした。
特にグループ・サウンズに関しては、独自の観点から、GS全盛期に世に出ながらマイナーで終わったグループを『B級GS』(もしくは、『カルトGS』)、或いはソロ歌手によるGS風の楽曲を『一人(ひとり)GS』とそれぞれ名付け、それらの概念を作り上げた。また、これら『B級GS』を中心とした和製ポップスの埋もれていた音源の発掘、及びGSの元メンバーの証言の採集にも尽力した。

[From 黒澤進 - Wikipedia]

 この人が90年代初頭、それまでは「懐かしい」という形容詞をつけてしか語られなかったグループサウンズを、再評価どころか、まったく、別の新たな音楽として、再び再構築してしまったのだから、スゴいことでなのである。    黒沢進氏がおられなかったら、オレは、一生、大原麗子「ピーコック・ベイビー」やアウトキャスト「電話でいいから」やジェノバ「サハリンの灯は消えず」やらレンジャーズの「赤く赤くハートが」を知らず、そして、ひいては、「歌謡曲」のスゴさに気がつかず、そのまま、あと40年ほど経過してら、自然に死んどっただろう(それでもかまへんけど、まあ)。

 
 19世紀、当の日本では、襖の裏張りやら時には便所紙にもされて、粗末に扱われていたという浮世絵。当時、陶器の包み紙にされていた北斎漫画を発見し、ヨーロッパの絵画界にジャポニズム 旋風を引き起こしたフェリックス・ブラックモン の功績に匹敵する。
 

 謹んで冥福をお祈りするものです。
 しかし、享年、オレより4つ上なだけ・・・。合掌。

 
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