松原智恵子が炸裂する「愛するあした」 ネタばれあり


われわれは、木村拓哉が15年もトップを走ることのできる時代に棲んでいる。

 1969年の映画「愛するあした」は、製作は芸映社なのだが、それでもまた、ちゃんとオープニングにダイニチでもなく歴とした日活マークが出る日活映画でもあったのである。
 
  今回は、そっち方面から、映画「愛するあした」について書きたい。



 松原智恵子の映画として、落ち着いて、観ると、これは、松原智恵子が炸裂しまくった映画というのに気がついた。

 松原智恵子・・・。
 日活時代の松原智恵子は実はスゴいのではないか、と思いつつあったわけだ。
 そりゃ、初期は気軽に人質になったり して下着姿でぶら下げられペンキ塗られたりするが(多分鈴木清順が監督してたヤツ)、日活が落ち目になりニューアクションとかになってくると、どうも、な んか、自らトラブルを呼び込み周りをトンデモ無いところへ持っていくというか、一人で映画丸ごとノリを変えるぐらい、スゴい女優じゃないか、と薄々思って たわけだ。ただ、渡哲也やらがドンパチやら刺した刺されたとかの世界だから、そっちに眼をとられてしまう。

 この映画をして、松原智恵子は、上の重しが無く、まさにフルスロットルで「松原智恵子」しているのではないか。
 
 最初の10分で、恋人役で学生運動まだやっている和田浩治とこういうケンカをおっぱじめる。

 「だいたい学園闘争はだな、日本帝国主義の大学の再編に対する闘いであると同時にだ、学園内にあらわれる矛盾に対する闘いであるんだよ・・それを賭してわれわれはいかに社会変革を」
 とまあ、当時の全共闘風言葉をちりばめて、和田浩治が松原智恵子に絶叫調で云うわけだ。
 そしたら、松原智恵子・・こんな怖い顔して、
 
 
「まった! 君それ本気で云っているの!!」

 和田浩治よりもっと大きな声だ。オレは思わず、自分が云われてるような気がして、背中がびゅんとなった。怖い。怖かった。
 
 やがてオレは、長年の疑問がすーーーーーっと氷塊していく爽快さを味わった。
 オレは納得した。60年代後半、日本、いや世界中の大学に吹き荒れた学園闘争は、松原智恵子のこの一言で終わったのだ!東大安田講堂落城とかじゃない。松原智恵子が終わらせたのだ!
 矢作俊彦風オーバーに書いてしもたが、まあ、怖かったことは事実である。

 さて、映画での松原智恵子の行動を次に列挙してみた。列挙して始めて、もうあまりのスゴさにただただ驚嘆するばかりである。これが大映で若尾文子がやったら、ドロドロのドラマになり、少なくとも三人は人死にが出て、真っ赤に終わるんだろう。だいたい、加賀まりこが小悪魔なら、松原智恵子は魔王ルシフェルに匹敵する。


 ・文通相手の、大富豪でプレイボーイという触れ込みの文通相手、日系ブラジル人の中山仁に会いに行くため、邪魔になるからというワケのわからん理由で、恋人和田浩治を親友伊東ゆかりに泊まりがけで預けてしまう
  
 ・なのに、中山仁とあった瞬間、ビビりまくるが、そのうち、どーでも良くなったのか、一緒にさんざんぱら遊び歩く。

 ・そのくせ、伊東ゆかりと預けた恋人和田浩治の仲がが気になるのか、突然、嫉妬の電話を伊東ゆかりにして困らせる
 
 ・さすがに鈍感ながらも、「預けられた」ことに気がついた和田浩治が怒ると、逆ギレ、たじたじとなった和田浩治が困って、何故か、いきなり、伊東ゆかりの孤児院松原智恵子+伊東ゆかりで学内コンサートを開くことを提案。まあ、はぐらかされているわけだが、何故か、快く了承する。
 
 ・コンサート出演了承した舌の根が乾かないうちに、伊東ゆかりに会い、学内コンサートに出るのが納得いかない、和田浩治に利用されているのではないか、とゴネはじめる。あまつさえ、和田浩治をボロクソ云うので、伊東ゆかりがたしなめると、またも逆ギレ、伊東ゆかりと和田浩治の関係を疑う

 ・コンサート直前になって、伊東ゆかりの制止を振り切って、タクシー飛ばして大富豪という日系ブラジル人中山仁に会いに行く。

 ・慌てた伊東ゆかり、和田浩治、追いかける。

 ・コンサート始まるも、当然松原智恵子と伊東ゆかり目当ての満員の学内コンサート、孤児院のガキ共が「どじょっこだのふなっこだの」とか合唱したりして時間を持たすことになるが、やがてブーイングの嵐。

 ・ようやっと赤プリで中山仁に会った途端に、いきなり、寄付金寄こせ、とせびる、実は貧乏な船員であるとわかり、松原智恵子諦める

 ・そこへ和田浩治と伊東ゆかりが加わり、ちょっとした騒ぎになるが、中山仁が松原智恵子が和田浩治をホンマは好きやということを云って、松原智恵子も自分は和田浩治が好きやということに気がついて愕然とする

 ・松原智恵子ようやっと学内コンサートに戻り、何を思ったか、「あたし正直に言うわ」と悲壮な決意。

 ・そして、マイク取って、何を云うかと思いきや、「お金を取ってあたしたちのコンサート開く価値が、あたしたちにあるのか?」と観客に問いかける、ほとんど彼女と伊東ゆかり目当てだから、もちろん、一同同意。

 ・そこまで云うなら何か唄ったりするのかと思いきや、彼女はそれだけで、引っ込み、後は伊東ゆかりに任せ、伊東ゆかりが一生懸命「愛するあした」を唄っている間、そんなことおかまいなしに、楽屋で和田浩治といい感じになるが、そこへ左とん平が小切手持って現れる。ブラジルへ帰った中山仁が左とん平に預けていたのだ。「巨額」の小切手だ。
 
 中山仁となーんも無かったのである。数時間会った程度である。渡す中山仁も中山仁だが、せびった松原智恵子が悪い。

 なんちゅう女やねん!

・・・とオレもいいかげん腹が立った。
 そしたら、そうしたオレのような観客を見透かしたように、こんな顔するわけだ。



 ここまで、松原智恵子のあんまりなあんまりさに正直腹が立っていたのだ、でも、こんな顔されたら・・・すべてを許せてしまう。
 しかも、ラストぎりぎりに、この映画でついぞ見せなかった次の笑顔でしめてみせるのであーる。
 

  
 惚れてしまうがな・・・

 この映画の松原智恵子は、まさにオレが60年代後半に対して求めるアナーキーさ、ラジカルさのすべてがあったのである。
 われわれは、木村拓哉が15年もトップを走ることのできる時代に棲んでいる。
 
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