主人公が遠藤ケンヂちゅうもんだから、読まなアカンと思ったけど


 ほぼ一気に浦沢直樹「20世紀少年」(22巻)読み通す。

 主人公たちの年齢が1970年の時点で小学校5年生、つまり、オレより一学年下だ。小学校時代の一時期熱中しまくった基地遊びの恍惚を久しぶりに思い出した。それに、大人になって主人公たちが40過ぎたある日、突然、小学校時代にでっちあげた「よげんの書」が何者かによって、現実化されていくという悪夢的状況というツカミが凄い。最初の頃はもう興奮するほど面白い。


 ただ、文句なしに面白いとはいいがたい。文句有りで面白い。

 


 例えば、推理小説を読むとする。まあ、殺人があって、探偵が犯人をみつけるために、推理し捜査し、その間、探偵が危険な目にあったり、或いは新たな殺人が行われたり、読者が登場人物に感情移入できた頃を見計らって、その登場人物のとんでもない過去があばかれたり、時には、大きな組織の悪とかもあばかれたりする。そうした過程と探偵の卓越した推理で犯人を特定し、犯人に白状させて、一件落着、犯人は逮捕され、物語は終わりかけた、その瞬間、、死んだと思われた被害者が「ばははーい」と生き返ってきたらどうなるだろう? 


  犯人は犯人でなくなるし、 そもそも殺人事件ですらない。まあ、それで一応、作者はええんだろうが、そこまで、殺人事件として読んできた読者は「なんやねん??」となり、腹が立ってくる。このパターン、一度ではないのである。あと、「超能力」も安易に使われすぎている。


 浦沢直樹「20世紀少年」はこの手のギミックがあまりにも多すぎる。 ようやっとひとつの謎が明らかになると思って、次のページをめくると、全く新しいキャラクターがでてきて、彼らのエピソードが始まり、「ちょっと待て、謎はどうなったんや?」と思いながらも、魅力的なキャラクターにひきこまれ、そこでも、また新しい謎が提示され、ようやっと謎をつきとめたと思ったら、また、新しいキャラの全く異なる場面でのエピソードが始まる。

 

 あと世界滅亡は一回やでぇ。二「しん・よげんの書」以降のエピソードはもう惰性としか思えない。

  22巻ようやっと読み終えて、まだ、話がおわっていなかったが、もう、ええわ、状態。


 まあ、60年代をあまりにも「懐かしがって」みせるウソくさい風潮にトドメを刺したことは、確かだし、



 
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