「ワン・レイニー・ナイト・イン・トウキョウ」を聞き比べてみた


まだまだ蒼い緑の葉桜も目立つようになってきたけど、踏ん張って満開状態の桜木もある。
 昨日今日と法事。芦屋まで行く。神戸空港でけてから、なんか、変な運転をするクルマが増え、困る。
 スワローズようやっと勝つ。スワローズファンの方より、ひさびさに喜びのメールをいただき、うれしい。
 負けても我慢するけど、やっぱ勝って欲しい。次は原ジャビット軍団・・・負けんといてや、負けたら、阪神ファンにいじめられるんや。
 
 ということで、昨日の昭和キャバレーグルーヴに2つも入っていた「ワン・レイニーナイト・イン・トウキョウ」である。
 iTunesMusicStoreで西田佐知子のヤツをダウンロード購入する。
 もちろん、全曲集まるごと買った方がやすいのだが、西田佐知子はやっぱ、オレの音楽聴く能力のキャパシティを遙かに超えたもんがあって、アルバム丸ごとなんぞ聴くものなら、ある段階でいっぱいいっぱいになってもて、レゲエへ逃げてしまう。

 で、西田佐知子だけは、一曲一曲買いながら聴くことにする。ボックスセットも出てるようだが、あんなもん通して全曲聴こうもんなら、あしたのジョーみたいに白く燃え尽きてしまいそうな気がする。

 
ワン・レイニー・ナイト・イン東京 和田弘とマヒナスターズ 1964 青春歌年鑑 BEST30 ('64)
ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー 越路吹雪 1965 青春歌年鑑 BEST30 ('65)
ワン・レイニー・ナイト・イン・トウキョウ One Rainy Night In Tokyo  シンガーズ・スリー リヴィング・スキャット Neo Standards
ワン・レイニーナイト・イン・トウキョウ 原信夫とシャープス&フラッツ1972昭和キャバレーグルーヴ
ワン・レイニーナイト・イン・トウキョウ 鈴木道明とビクター・オーケストラ 1970 昭和キャバレーグルーヴ


いろんなコンピに入っていて、おれのiTunesに入っている「ワン・レイニーナイト・イン・トウキョウ」である。

 かくして、オレが一番聴きたかった、

 ワン・レイニイ・ナイト・イン・東京 西田佐知子 西田佐知子: 全曲集(リンク先はアマゾン)
 
が加わったわけである。

 伊集加代シンガーズスリーのぱやぱやのスキャットで歌詞のちょっと湿った部分を排除したバージョン、昨日きいた2つの「ワン・レイニーナイト・イン・トウキョウ」で外堀は、まあ、埋まった。
 さて、歌詞と楽曲が組み合わさったディープでコアなバージョンを聴いていくことにしよう。

 (歌詞Mid等詳細はhttp://www.duarbo.jp/versoj/v-sengokayou/one-rainy-night.htm)

 歌詞をチェックしてもらえばわかるように、雨がふったんで、あの人が会いに来なくなって淋しいわ、ちゅう、なんの変哲もない、歌謡曲王道の歌詞である。
 だけど・・・
 
 一番早い1964年、マヒナスターズのヴァージョンは、まあ、小雨降っている日、キャバレーもしくはナイトクラブは暇である。いつも来てくれる客でちょっと憎からず思っているあの人が来ない、こんなに店が暇な時、あの人がもし来てくれたら、いつもの日できないおしゃべりまで、ゆっくりしてあげたのに、ひょっとしたら、それが恋につながるかも知れないわ、ああ、来ないかしら。ああ、さびしいことだなあ、というホステスさんの感じである(基本形)。こういう唄は和田弘とマヒナスターズという男性ヴォーカルが歌わないと、歌詞が本来持つストレートな女心が伝わってこないのが日本である。

 1965年の、越路吹雪となると、東京は東京でも、それこそ、フランスがかった「トーキョー」で、小雨降るのは、セーヌ川の大河に雨打つ風景がもうぱーっと広がるわけだ。ほとんど「シェルブールの雨傘」の世界である。「お話したいの」はもう、これは一晩徹するお互いの肉体をのたうちまわせながらする「お話」である。ちょっと洋ピンがかかった世界ではあるのでないでしょうか。
 小雨がふったぐらいで、会いに来ない男は、果たして若い恋人か、そいとも、年長のパトロンか。ここらへん、ぼかして唄っているため、深淵なスケベさを暗示しているわけである。どちらにせよ、相手はもちろん金髪のフランス人であることは確かではある。



 西田佐知子は、雨に強い。当たり前だ、国会議事堂前で60年安保反対のデモでの戦いのさ中、「アカシアの雨にうたれて、死んでしまいたい」と腹を括った西田佐知子である(注あくまでも曲を聴いてオレが抱いたイメージで、事実とは異なります。以下も)。「ワン・レイニー・ナイト・イン・トウキョウ 」、ここでふるのは、たかが「小雨」である。「アカシアの雨」ではない。しかも、小雨降ったぐらいで、アタシに会いに来ない男なんか、甲斐性なしもええとこ、である。何せ、アタシは、「アカシアの雨にうたれて、死んでしまいたい」ほどなのだ。




 となると、「ワン・レイニー・ナイト・イン・トウキョウ 」における「しんみりあなたと お話したいの」は男女の恋話とかじゃなく、もちろん、政治論議である。この前はホットになりすぎ一方的にやりこめてしまった。今度はお互いに冷静に議論しましょうよ、と電話したら、雨がふっているから行くのやめとくわ、との返事、何よ、小雨がふったぐらいで、議論から逃げるなんて、「つれない方とうらんでますのよ」である。

 彼女に惚れているが、こてんぱんに、彼女に議論で負けて、自尊心ズタズタにされた男の「なんにもいわずに別れたあの夜」である。
 雨がふったせい、それも「小雨」程度がふったこと言い訳に、彼女との議論を拒否するような男、である。

 2番の歌詞で、「しみじみ思い出しているのよ」「アイ・ラブ・ユー」とか「あなたがいるなら何にもいらない」・・・ここまで彼女が云うなら、当然、相手はもう死んでしまっている。同じ闘争をしてきた者同士の同志愛がホンマの愛に変わった瞬間である。ちょっとヤワな男やったけど、今や誰もアタシが怖いのか、議論ふっかけてこない、淋しいことだなあ、あの人、熱い議論をふっかけてきただけ、マシな男やったんやわぁ、あたしも熱くなれたのは、アナタが好きだったのかも知れない、いいえ、アナタのこと、好きよ、切ないわぁ、である(ちなみに西田佐知子は大阪生まれの大阪育ちである)。
 2番のしょっぱな、「小窓うつ音は、雨のささやきか」の最後の「か」を彼女は「かはぁ」と同じ大阪の後輩和田アキ子的、H音、強調しているとこがポイント。まぎれもない、大阪弁の「でっか?」の「か」である。
 
 まあ、同じ曲を聴きながら、妄想を膨らましに膨らましてみたが、越路吹雪も西田佐知子も「声」が強いのである。歌詞が表現している「来ない男を待ち続ける、切ない女心」、いくら聴いても、感じられないのである。
 
 西田佐知子の声は、ホンマ、ず太い。そいで、からからに乾いている。
 声の質が否定しようとなんどもしたが、どうだって、ジャマイカの太っ腹アドミラル・ベイリーに似ている。アドミラル・ベイリーは、ジャマイカの「男西田佐知子」と呼ぼう。

 
 
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