1985 MASTER MEGAHITS


27歳、1985年の暮れ、それまでの一ヶ月440時間×6ヶ月働いた金をもって、10日間(ただし、ニューヨーク待機四日含む)ジャマイカに行ってきた。、正月休みと、会社にゴネまくって強引に有給かっぱらい2週間休み、ジャマイカは観光都市モンティゴベイへ行ってきた。着くなり、ホテルのDJと仲良くなってしまったんがアカンかった。なんのことはない、リゾートホテルに泊まり、夜な夜な朝までそのDJに付き合って、踊りまくり、昼はビーチでてれんこてれんこしたあとは、昼飯喰いに、下町まで行ったりマーケット行っておしゃべり、その後、適宜昼寝するかまたビーチで遊ぶか、というそのDJの日常パターンとあわせて過ごしたことになる。



 当時、まだまだ、日本のレゲエファン=ボブ・マーレイファンである。オレも渡ジャマ一日目まではそうだったと思う。バスで首都キングストンまで数時間かけていき、レゲエが発祥したと云われるゲットー(トレンチタウン)を訪れるつもりであった(これがいかに、無知で危険極まりない行動ということか、当時はアホやからようわからんかった)。



 しかし、着いてあれやこれや見たり聴いたりしとると、なんや、わざわざ、混みまくったバスで数時間揺られたり、タクシー大金払ってチャーターしてまで、キングストン行くのも、アホらしくなるほど、モンティゴベイはええとこだった。あたりまえだ。アメリカの東海岸の連中にとっては、割合気軽なリゾート地、つまり、日本で云うところのハワイや沖縄、いや熱海みたいなとこなのであった。海はキレイし、姉ちゃんはキレイだ、飯は不味いが下町の中華料理屋行けば、旨い。



 ホテルのディスコも午前0時までは、フツーの日本のディスコと変わりない。宿泊客や周辺のホテルから集まってくる観光客のためのもんだ。このあたり、日本のスキー場並みだ。観光ディスコかよ、と呟いたりしてた。



 ただ、0時を過ぎる様相が一変した。観光客はナンパとか終えていなくなるのか、ジャマイカの音楽が怒濤のごとくかかり始める。もちろん、ダンスしている客の人種が変わって地元の方々が増え、むわぁぁぁという熱気がぱっと広がる。ジャマイカの音楽はジャマイカの音楽だが、どうも、レゲエとは違うような気がして、DJブースに入って、DJに聴くと、すれんてん、とか云う。何じゃ? 今、流行ってんねん。へぇ。ソカちゅうもんか、ちゃうわい、ま、ええから、フロア行っとけ、スゴいから。

 

 混みまくったフロアに戻ると、大音量がどぶっといリディムを刻んでいる。リディムを追いかけると、はぐらかすように、突然、消え、ヴォーカルだけが虚空を舞う、ヴォーカルを追っていると、また、図太いリディムだけが戻り、エコーがかかったままフェイドアウトしていく。何か演説みたいなのがえんえんリズムに合わせて始まったかと思えば、別の曲は、音程をわざと外してえんえん唄っている。泣き声やサイレンで始まる曲とかもあった。

 数曲こうしたのが続いてようやっと愕然とする事実に気がついたのである。

 全部同じ曲だ!もちろん、ヴォーカルが違うし、かなり大胆なアレンジとかしておるので、すぐにはわからんかったが、同じ曲である。

 しかも、そのリズムが体にすっかりしみつき、「もっともっと」状態だ。



  なんじゃ・・・これ!!!!

 DJブースに飛び込み、おい、なんやねん、これ? DJはすっと、ジャケット(下のコンピュータ)だけを見せてくれた。

 LP中すべて、同じリズムトラックで、ワンウェイというものだ。ただ、同じ曲とは云う物の、唄をかぶせてあるのは歌詞は歌い手やDJによって異なり、いろんな擬音がまぶしてあったり、アレンジしてあったりして、個性を発揮している。ただ、えんえん同じリズムが続くわけで、それが、最初の飽き、二度目の飽き、三度目の飽き、とかを突き抜けていくと、やがて、ばぁーっと目が覚めるような快感(これをグルーヴと云うのかも知れん)が広がるんである(念のため、アルコールとタバコを除く一切の薬物等は使用していません)が訪れ、踊れば、ああら不思議、いつのまにかそのリズムにぴったし・・・という状態になってくる。



 オレのレゲエ、否音楽への接し方をまるっきり変えた記念すべきアルバム。

  Computer

 

 

 そして、ゴンピューターじすいずコンピューター、とまるで、中央卸市場のセリの時聴かれるようなアグリーマンのダミ声がフロアを満たしたのであった。

 やがて、スレンテンと呼ばれる、この手の走りというのが始まった。ごくごくシンプルなかけ方で、2台のターンテーブルの片方にこのアルバムもう一方に、同じリディムトラックのもうひとつのLPかシングル盤のせ、交互に、ひたすら、切れ目無く続けていくという、最もシンプルなやり方。BPMあわせもクソも同じ曲だ。それだけなのに、もう、ハマるハマる。廻りもスゴいノリだ。



 1985年に突如現れ、レゲエを再定義したお化けヒット。

 1985 Master Mega Hits (Sleng Teng Extravaganza)

 





 上のスレンテンより先に生まれていた。がスレンテンにつられて大ヒット。 

Stalag 17,18 & 19







 かくして、以降、来る前の異様な思いこみ、つまり、ボブ・マーレイを生み出したとはいえ、キングストンの銃撃戦が時折あるゲットーへ言葉幼稚園レベルの日本人単身で乗り込むとかがアホらしく思え、ひたすら、フツーのリゾート風休暇しながら、ホテルのディスコにいりびたり、どっぷり音楽にもハマり続けたのであった。なんか、温泉の代わりに音楽がある感じ。そいと、ホテルDJの尽力もあって、街に出れば、フツーの人たちと音楽についていろいろ話せ、スキヤキを一緒に唄い、その年の飛行機事故で死んだわが国の歌手 を悼んだりして、楽しみまくった。



 ホテルのディスコとはいい、デカい30センチのウーファーがいくつもあり、夜中でもデカい音量だせるようになっていた。体中に、浴びるほど、体の細胞一つ一つまで、音圧を感じながら、聴く、という快楽を初めて知った。



 オレが訪れた時というのが、ジャマイカの音楽が史上最も大きな変化をしていた時ということがわかったのは、帰国して随分たってからだ。

 完璧にノリが変わったオレは(というよりある種、リズム中毒状態)、それから数ヶ月は、もっとも音楽的に幸せな日々を送ることになる。

 

 しばらくたって、ようやっとジャマイカのシングル盤が輸入店に出回りはじめた。



 まるで、八百屋で新鮮なリンゴやミカンを買うのと同じノリで、ただ、「新しい」かどうかだけで、シングル盤を選んで、それで満足していた。しかも、青いジャミーズ(下の写真)やテクニークスのヤツなら、ハズレが無かった。いいのがあれば、ひたすら何度も聴いて、体に覚えさせておく。それは、もし、大きな場所で大音量で、その曲がかかったら、すぐに、体がそのリズムについていけるため、だ。

 当時、輸入盤屋ではジャマイカのチャートつけてくれたりしてたが、そのチャートとびったしオレの好みがシンクロしていた時の嬉しさはなかった。



 

 ミュージッシャンの思想や歴史(生きざま、とか云う気持ち悪い連中もいる)がどうのこうの、というのから解放されるのが、こんなに気持ちええもんか、と。

 

 まあ、最近、とかく、音楽、頭で聴いてしまっていることが多く、早川義夫氏みたいに心で聴くには、あと50年かかると思うし、音楽を聴いていて一番楽しかった頃を反芻してみました。

 
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